散歩道の彼岸花はとうに枯れて、茎だけが頼りなげに生き残っています。その根元を見ると、緑の葉が生えていました。茎はすぐに全部倒れて、葉だけが真冬にかけて青々と茂っていきます。冬枯れの景色とは一風変わったおもしろい植物です。
さらに、彼岸花の葉は夏が来る前に枯れてしまいます。周りの草木は春に芽吹き、夏に向かって生い茂っていくのに、まるで正反対の生き様です。世間の圧力に負けず同調しないところは、ちょっと憧れてしまいます。
葉は冬の日差しをいっぱい浴びて、球根に栄養を蓄えます。役目を終えた葉は夏が来る前に枯れ、秋に咲く花を見ることはありません。「葉見ず花見ず」という別名の由来です。ちょっと寂しげな雰囲気のある名前です。
彼岸花の葉は、花を見ることはありません。しかし、倒れずに持ち堪えている茎は、真っ赤に咲いていた花の美しさを葉に伝えていることでしょう。花は葉を見ることはありませんが、球根が葉の生き様を花に教えていると思います。
父は僕が幼い頃に亡くなりました。可愛い息子の育つ姿を見ることはなかったわけです。でも、母はいつも父の生前の話をしてくれました。おかげで、記憶が残るはずのない小さな頃の思い出まで、映像として浮かび上がります。
カメラ付きの父が、走り回る僕の姿を8ミリカメラで撮っています。庭のいちじくの実を取って食べさせてくれます。ごはんのおこげがおいしいと頬張っています。お見舞いの帰りに振り返ると、病室の窓から父が手を振っています。
そんなわけで、父がいないことで寂しい思いをしたことがありません。自分に子供が生まれた時、父子関係に戸惑うことはありました。ただ、母から伝え聞いた話から、父親像を思い描くことは難くありません。あまり気にならなくなりました。
運良く僕は長生きできました。子供の成長を見届けただけでなく、孫の成長も見ることができます。百歳まで生きることにしたので、ひ孫の顔を見ることも夢ではありません。子見て、孫見て、ひ孫見て。楽しみは続きます。