マウイ島山火事の焼け跡、まるで戦争?津波?大火? | kuwanakenのブログ

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 ハワイのマウイ島の山火事が大変なことになっています。娘と孫娘は、数年前までオアフ島に住んでいました。人ごとには思えないようです。焼き尽くされたラハイナにも観光で出かけたことがあると、食い入るように見つめていました。

 

 ニュースのコメンテーターがラハイナの現状を「まるで戦争みたいだ」と話していました。いくら終戦の日とはいえ、第二次世界大戦のことを言っているわけではありません。きっと、ウクライナの戦場を思い浮かべているのでしょう。

 

 東北大震災で被災した人は「津波の被害みたいだ」とつぶやくかもしれません。台風で被害のあった人は「台風が過ぎ去った跡みたいだ」と思うでしょう。悲惨な経験をした人は、それぞれの体験から表現するものです。

 

 僕らは団塊の世代よりも少し後に生まれました。それでも、昭和二十年代なので戦後世代の内でしょう。事あるごとに戦後何年という言葉がついてまわりました。すでに戦後78年経って、もうこの言葉が出回ることはありません。

 

 京都の人は焼け跡を見ると「応仁の乱以来だ」と言いたいかも知れません。それは間違いです。江戸時代の天明の大火でも、町の90パーセントが焼けたそうです。さらに、先の大戦では5回も空襲を受けています。

 

 現代の日本人がマウイ島の焼け跡を見て何に例えるでしょう。空襲や原爆投下の跡を思い浮かべる人は、それほどいないと想像できます。それは、とりも直さず日本が78年間戦争をしていない証になると思うのです。

 

 これからも、当然ながら自然災害は世界中で起きます。災害の後は目を覆いたくなる惨状が映像として伝わって来ます。それを「戦争の跡みたいだ」と表現する人があったとすれば、身近で戦争があったに違いありません。

 

 自然災害と人間が起こす戦争とは、成り立ちから根本的に違います。それがなぜか、終わった後の惨状だけは良く似ています。ただ、害を被った人の傷には大きな差があります。悲しいことに、戦争の後は相手に対して憎しみが残るのです。マウイの復興を祈ります。