缶蹴り、鬼やめなし | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 ただいま、ミニバスケットの活動は、バスケットの練習をしないで外で活動します。コロナ対策にかこつけて、遊んでばかりいるのです。もともと、スポーツは気晴らしのために生まれました。運動で日頃のストレスを晴らします。

 

 缶蹴りも長縄跳びも木登りも、一所懸命やれば息が切れるほど体力を使います。立派なスポーツです。バスケットをしないからといって、スポーツ少年団としては何ら恥じることもありません。もちろん、遊びたいがための屁理屈です。

 

 缶蹴りやかくれんぼは、鬼が一人で目を瞑り「ひとーつ、ふたーつ」と数えるところから始まります。その瞬間だけを捉えると、仲間はずれにされているようで悲しく思えてきます。でも、鬼は代わりばんこにするので問題ありません。

 

 いじめは大勢で一人の子をいじめます。たまに、いじめられ役が入れ替わることもありますが、全員が代わりばんこにいじめられるという構図はあり得ません。そこが、缶蹴りやかくれんぼの鬼との決定的な違いです。

 

 子供の頃、鬼やめなしというルールがありました。かくれんぼに飽きてやめたくなっても、鬼になった時に止めることはできないというルールです。鬼をやりたくないからやめたいと言い出せば、大勢の遊びは成り立ちません。当然なルールです。

 

 夕暮れになって帰りたくなった時に、鬼になったことがあります。やめたいといったら「鬼やめなし、鬼やめなし」とみんなにはやされました。泣きべそをかきながら鬼をやった覚えがあります。切ない思い出です。

 

 このところ、ミニバスケットの練習日には缶蹴りが必須科目になっています。僕も入りたいのですが、隠れていると子供たちに目が届かなくなるので、鬼だけやりました。目をつぶって数え終わり「もういいかい」「まあだだよ」

 

 しばらく待って「もういいかい」「・・・」誰も返事をしません。返事がないのは「もういいよ」の合図らしいですが、置いてきぼり感は拭えません。子供にとっては、これも大事な経験か。「缶蹴りの 鬼やめなしや 冬夕焼け」