緋寒桜とソメイヨシノ | kuwanakenのブログ

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前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 神社の緋寒桜がきれいに咲きました。背が低くてこじんまりしていますが、満開の花びらは重たそうです。枝の先などは堪えきれずにたわんでいます。ときおり吹き渡る春の風に身を任せて、ゆらゆら揺れていました。

 

 この神社の桜は、いつもの年なら緋寒桜が散り始めてから、ソメイヨシノが咲き始めます。それが今年は急に暖かくなったので、ソメイヨシノが順番を待ちきれずに咲き始めました。まさに五分咲きといったところです。

 

 このまま穏やかな日が続けば、緋寒桜とソメイヨシノのそろい咲きもあります。ところが、春に三日の晴れなし。空が暗くなって雨が降り出しました。盛りを過ぎた緋寒桜が、堪えられず一気に花びらを散らします。

 

 雨上がりの風が治まった頃には、入れ替わってソメイヨシノが満開になることでしょう。咲くが早いか散るが早いか気を揉んでいましたが、つまるところ例年通りに収まりました。年年歳歳花相似たりといったところです。

 

 福島原発の構内には、千本桜と呼ばれる名所がありました。桜の季節には町の人にも解放したので、花見の客で賑わいました。千本桜の名に違わず千二百本もの数を誇りました。それが、除染計画の波に呑まれてたくさんの桜が切り倒されました。

 

 残されたのは四百本ですが、欠かさず毎年満開の花を咲かせます。しかし、帰還困難地域では花見どころか、近づくことすらできません。何年もの間、それを愛でるのは除染作業をする人だけでした。歳歳年年人同じからず。

 

 それでも、除染作業が進めば放射線量は減ります。福島の作家安東量子さんは、地元で採れる野菜の放射線量を測り続けています。安東さんは「数字が下がっても不安は消えない。元の暮らしに戻ることが望み」と話します。

 

 元の暮らしとは、たとえば、花見ができる暮らしです。期せずして、コロナ禍での日本中の望みと重なります。放射能もコロナも先の見えない戦いが続きます。希望は具体的な方が期待が持てます。いつか、みんなで花見をしましょう。