車をバックで車庫へ入れるときに、門扉にドアミラーをぶつけました。端っこが砕け落ちましたが鏡は無事でした。やれやれ、老化が進んだかとも思いました。しかし、思い返せば若い頃から何度も同じ失敗をしています。
毎回、部品だけ買って自分で直した記憶があります。もともと、どんくさいけど器用なのです。今回も同色のビニールテープを巻いたら、暗闇では気にならない程度に修復できました。
その場凌ぎは得意な方です。ただ、きちんと修理しないでおざなりにすることも間々あります。いやいや、多々あると言った方が正確かもしれません。器用というより、ズボラなのかもしれません。
器用貧乏という言葉があります。いろんなことがある程度できてしまう人のことです。でも、そのおかげで、一つのことに徹することができません。何でも中途半端で終わってしまうという意味もあります。
まさに僕がそうです。次から次へといろんなものに挑戦しますが、まあまあのところまで辿り着きます。バスケットボールも、空手もなかなかのもんだと自負しています。蕎麦屋も開業でき、30年間も長持ちしました。
再就職した介護施設の事務員も、保険請求やマニュアルづくりなど、それなりにこなしました。自治会長の仕事も、まずまず信頼されました。とはいっても、結局のところ何をやっても中途半端で終わります。
人よりもうまくなりたいとは思いますが、一番にならなくても不満には思いません。ある程度できれば満足してしまいます。そんな心持ちが自分でも気にいっていて、とても幸せな人生だと感じています。
何はともあれ、器用貧乏に生まれたことをありがたいと思います。器用という言葉も貧乏という言葉も、自分に似合っていると思うからです。このまま死ぬまで、ほどほどに役立てたら本望です。まさに、中庸です。