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自由圏と民族社会

 社会主義圏の崩壊により、世界には民族主義の猛威が振るった。しかし日本では、社会党不在でも社会主義が生き残り、民族主義にも対抗している。

 

キリストイスラム教徒と民族宗教国家(一つの神人間の神と、動物などの想像上の神)

 しかし世界は、主義主張が思想から宗教に移り、一神教の先進、新興から多神教の途上、中堅に移っていった。崩壊に瀕した世界は、大国主義や思想大国から民族主義などによる急速な多様化が進んだ。

 

 長い間欧州(米)などの植民地にされ、米国の戦争により引き裂かれ、多くイスラム教の支配下に置かれた世界、その後米露などの大国指導によっても正常、健全な歴史に戻れず、ソ連崩壊後の世界的な混乱(社会主義の不在)が広がった。

 そもそも共産主義とは、社会主義独裁後に原始共産主義的状態(政治)に陥り、また資本主義を経過せず崩壊した。日本は今、その世界の危機をどう乗り越えるのか。

 

 このような状態を一つの世界の端緒、進展と考えた日本などのインテリ指導者は、自分たちの権威を守る自由主義を手放しで歓迎した。しかしその裏には、世界の多くの国や地域が、貧困や紛争、崩壊や戦争になることに反対する意志はなかった。

 事実戦後の自由主義的マスコミは、世界戦争について自国がかかわるかどうかを問わず、嬉しそうに報道する姿勢を捨てなかった。戦争反対の動きや集団に対しても、自分たちもそうだったと堂々と言う始末である。

 

 そのようなマスコミの動きを、戦後の日本は正当なものと評価してきた。しかし戦後が終わった今そのような姿勢は、国民のみならず世界から非難、批判されるものとなった。

 (朝鮮戦争や)ベトナム戦争や最近の中国の状況などに対しても、本気で安保を守ろうとしていても、中国に対し毅然と反対することには、経済的な依存についてもアジア的な視点を小さく扱うことをやめなかった。

 

 そもそも自由主義同盟が民主主義を否定しても、民主主義勢力が中国を非難しても、多くの戦争に対し毅然とする日本の(憲法的)姿勢を堅持できない状態は、もはや子ども相手の漫画以下ということができる。

 世界に対しその貧困や困難に毅然と立ち向かう姿勢を捨てたその姿勢は、政経の一致や都市への一極集中などを含めて反動的姿勢を保ちながら、実際の地方行政改革について右左共に扱うことも最近検討されることになったと言わざるを得ない状況である。

 

 不明な(日本や世界の)古代史-日本でも縄文や弥生(飛鳥)などの古い時代についての情報は一向に増えていない。世界でも今や古代の色々な時代の情報もどんどん希薄になっている。一体人類に過去、歴史を捨てさせようというのか。

 西欧先進以外の何を基本に人類の未来を考えようというのか。今国(の成立)に関し、これまでの人類、世界の苦労を無視すれば、その方法が未熟になることは避けられない。

 

 大小の国の生成-世界でどういうふうに国ができた、作ってきたかという歴史は、現在の国づくりにおいても、古代以下の情況が多く見かけられる(状態にさえある)。現代と永遠の違いを、人はどう考えているのか。

 

 中堅国家と経済-大小の国々が長いスタンスで合併分離することは今だけではない。戦後の世界の国の構図から大きな変化となっている現在、人がなぜ社会や国を求めてきたかという根本的な視点が揺らぎ、崩壊している。

 

 国家と男女関係-国家の構成要素で難しい問題の一つは男女の関係である。単なる女性優位、男性優位だけでなく、まず人としてどう行動すべきかを考える、大人の健全な視点が壊れ、忘れられようとしている。

 

 植民地制度の是非-正しい歴史、整合性ある植民地という思考があった戦後に比べ、現在は欧州などのそれと日本などのそれを相対的に捉える思考傾向も拡大している。

 

 第一次大戦の構図-思考的にこのような混乱があった戦後を越え、世界の秩序を守るにはどうしたらよいか、多様な思考を認める大人の発想が求められている。

 

 ソ連の崩壊とは-ソ連の崩壊は、共産主義的に言えば別に敗北でも失敗でもなく社会主義の必然の一つであり、自由主義などとの共栄に向かう、多くの思想の一つの変化だという見方もできる。

 

 自由主義の勝利-それらを自由主義の勝利とする米国的思想、思考だけに捕らわれている評論家も多くおり、しかし現実的に、自由主義思想の混乱も科学的歴史の破壊、崩壊につながる危険を気づいてほしい。

 

 民族差別の変化-民族や歴史、国家などの優劣を、西洋的な進化が優れている、皆そこに向かうといった戦後の志向は大きく揺らいでいる。地域や国の歴史の再検が必要な時代ともいえる。

 

 現在の宗教戦争-一時のキリスト、イスラムの戦争から、それがそれらと違う宗教的状況でも似たことが起こっているということができる。国教といった思考にも、多くの地域の歴史などが生活や自治などにあることを軽視してはいけない。

 

 正常な経済戦争-最近多かった経済制裁、経済競争などというのも、大きく見れば立派な戦争であった。その正否、勝敗に拘るだけでなく、近隣や世界の地域とどう関わっているのか、健全な思考が必要だといえる。

 

 人類が人類(全体)を養えない事態となった現在、(色々なものの)経営(者)をしっかり養い、論理的、非現実的な政治指導者と結び付けていかなければならない。多少の労働側の節約や我慢も必要だが、いまだに汚職の多い政治や公務員には別れを告げないと、どうにもならなくなる国が多い。

 

 しかしどうしてこうなったかという分析や指針には納得のできないものが多く、(本来の)文化や教育、福祉や社会を失った多くの人たちが自ら社会を担っていけなければならないのも事実であり、こうなった原因の近代や現代の経済、物重視の思考を見直さなければならない。

 

 妊娠や育児、結婚などに対する文明的視点、色々な分野の歴史的視点などの多様化に対応し、新しいまた古い家庭(論)の再生、改革を進め、それらを他国の指導ではなく、国民自らの傾向にしなければならない。しかしそれらを阻む移民や難民、貧困(や紛争)などを含む諸事情にどう対応するかを、地球的地域的視点に是正しなければいけない。

 

 合衆国やロシアが一つの世界を志向し、二つの世界を実現していた戦後体制に比べ、世界は自分の国さえ志向できない状態にある。ソ連崩壊という事態に対応できず、それは合衆国の崩壊にも繋がっていった。今までの論理的なインテリの力だけでは、どうにもならない事態に至っている。

 

 一方で長い間の民族の歴史の崩壊があり、一方で先進の指導(力)の衰退があり、一方で多様多彩な国々の集まりという一つの世界(の実態)があり、一方で欧米などの指導による自由圏という一つの世界観(論理があり)、これまで(日本を)支えた価値観の崩壊がある。自由主義の崩壊という現実に目を向けないインテリ層の思考は、日本をも崩壊させていくだけである。

 

 これまでの社会主義圏という実態を失くした自由主義対民族主義という実態は、自由主義(民主主義)対社会主義(共産主義)という政治、経済や思考、体制という世界(指導者)を、民主主義対共産主義という構図に変換させた。しかしそのいずれも、まだその変化状態という現実を乗り越えていない。

 

 その間に、途上国の人口爆発、飢餓貧困、独裁テロ、民族ゲリラという情勢に、宗教的対立を経て臨む姿勢が事態をもっと悪くしている。彼らの(現実的な)指導力を復活し、一方で植民地、先進、新興無き世界への軽蔑などを尊敬に変える謙虚な姿勢を作り育てる努力が、(中間層にも)必要である。

 

 日本では自民党(社会党)の絶対が壊れ、しかし非自民などの大失敗により、壊れた自民党とどっちつかずの社公などの不安定な政権となった。国民の支持は得られす、マスコミなどの自民忖度により、かろうじて与党となっている。実権を握った非自民、民主などに対し、マスコミは本気の協力をせず、二大政党などと言う人気取りに終わっていたのでは、混乱の確信犯と言える。

 

 一時の社会主義政権もあり、反動保守の政治を強めた政治は、国民、特に若者や女性を敵に回し、子供たちの尊敬を失った。少子化の国はたくさんあるが、世界最高の超高齢化の日本において、子供や外国人とともに、高齢者がどういう生活をするかが国家的課題であることを見失ってはいけない。