友達の友達はみんな友達の会、
6月もおもしろく温かい時間になりました🎵❤
今日は、わたしの友人お一人お招き。
みんなとお友達になってね✨
いつものメンバーも、みんながみんなを大切にしたい氣持ちに溢れています。
大好きな友人たちと過ごしていると
今ある平和な幸せを、丁寧に感じられる自分でいたい。とそんな氣持ちにいつもなります。
みんな、いつもありがとう😆💕✨
加工なし写真でも、みんな上手に撮れてますね(笑)
昨日も、あっという間でしたが、いろんな人がいて、いろんな考えがあり、いろんな思考パターンがあって、生まれそだった環境も違えば、毎日のルーティーンも違う。
だから、考えかたが違って当たり前。
わたしは、自分とは違う考えの人が、その考えに至るまでのプロセスや背景などを知ることで、深く理解できた経験があります。
深く理解できたときに、わたしとは考えがちがうけど(正反対だけど)、その考えかたもその人に対しても、理由がわかっただけで、深く深く深く愛が沸いてきて、大好きになることができました。
理解する、とか、理解したい、と言う氣持ちは愛そのもの。
それが、『向き合う』とか、『歩み寄る』と言うこと。
逆に、自分の意見が正しいから、わからせよう。
としているのは、理解されたい、理解してもらいたい、から。
それは、愛されたい、愛されたい、と思っているからなのでしょう。
それらは、向き合うとか歩み寄るのではなく、相手をコントロールしようとする行為。
『自分が正しい』、『自分は間違っていない、』
など正しさを固持するときの心理状態は、
『わかってほしい』、『理解されたい』、『認めてほしい、』
そんな氣持ちで一杯だから。
そして、『認めてほしい』『わかってほしい、』そんな氣持ちになるのは、
『愛されたい』
『愛を確かめたい』
『自分の存在価値を認めたい』
から。
だから、『自分が正しい』とか、『わかってほしい』『理解されたい、』
と、相手に求めるのは、
『理解しよう』と言う相手の気持ちが
『愛』だと知っているから、だと思うんです。
『受け止めてもらえることの喜び』
『認めてもらえたときの喜び』
『自分を信じてくれたことの安心感』
それが、『愛』だと、知っているからだと、思います。
当事者同士だと、なかなか冷静になれないからそこまで氣付けないけど、
ただ、みんなは、『愛』を求めているだけ。
すべて、それだけ。
みんな、愛されたいだけなんやよね。