実は私、なぜか大晦日から不食の生活になりました。
好んで始めたわけでもなく、決意したわけでもなく、、、大晦日にちょっとした不思議なことがあり、その後なにやらからだが食べ物を欲しがらず、、、からだの声を毎日きいていたら今日まで結局不食。
正確には不食ではないのかな。
水分は多少とっていたし。
3日の日にこれどうかな?玄米?味噌汁?煮物ならどう?と、少し口にして試してみたりしてたから。でも、なにか違って、、、結局食べない日々。
その試した日は、一口ずつ程度なのに、胃の中でたべたもののエネルギーがざわざわにぎやかで夜眠れなくなり、、、(>_<)感覚にベールがかかるようでした。
長年半断食をしてきたわたしにとっては、食べない断食はある意味楽だなあとつくづく思ったりもしました。
断食はそもそもからだを沈め精神修行のもので、からだはロックがかかりおやすみモード。
一方、半断食はこころとからだのお掃除をするから、溜まったものがどんどん排泄されていくので、楽ではありません。おわった時の清々しさが病みつきになり繰り返すわけですが(笑)
と、いうわけで食べないのは気持ち良いです。誰かに食べるなと言われてる訳でもなく、食欲がないわけでもなく、がまんしているわけではなく、食べ物がないわけでもなく、自ら選んでるからそう思えるのでしょうけれどね。
からだは軽く、痛みも、滞りも、揺れもない。こころもゆれない。感覚は研ぎ澄まされ、迷いなく、判断はあっているし、いろいろなタイミングがよく、すべてがよい流れにさえ感じ、未来にわくわくします。
半断食でも最終的にはそうなりますが、排泄が大きいのでいきなりそうはなりません。半断食では排泄が重要なわけで。
それから、なんだかんだ一番執着しやすい食べ物や食事から解放されるって気持ち良い!不思議と食いしん坊なわたしの大好物すら欲しくないのだから。そこにはがまんはないわけで。
こんなに気持ち良いならずっとこのままでいたいし、本当はこのままでいいんだろうなと思うのですが、今の状態は静かにお祈りをしたり、ゆっくりと丁寧な生活をしていたくなるモードのようです。社会に出てばりばり働く、競争する、なんて気にはなりません。
クラスをするには引っ張る力が必要なので、自然にまた食べ始めるのかもしれませんね。からだの声を聞きながら楽しんでみます。
でも本当に不食が続いたら廃業ですね、わたし、、、。ある意味お伝えしていることがひっくりかえるわけですから、、、。とほほ。
友人たちには、ついに次のステージか?仙人になるのか?と、にやにやされましたが、はてさてどうなりますかしら。
追伸、
不食をすすめる訳ではありませんし、自己流の断食や半断食はとても危険ですから、ご注意下さい。必ず指導者がいる断食専門の施設でされてくださいませ。