思えば、初めて幼稚園に行った日、門の前で母と引き離されて泣きじゃくった時以来、集団生活が苦手でした。
もちろん仲良しのお友達と遊ぶのは楽しかったし、幼稚園の山田優子先生も、小学校の担任の前野美代先生も西込祥子先生のことも大好きでした。
けれども、中学時代は、何故か心を許す友だちも出来ず、何よりも担任の先生と反りが合いませんでした。
丁度、いわゆる反抗期の時期でもあり、16年間の学校生活では暗黒の時代だったと言えるでしょう。
そんな中、一人だけ、とても尊敬していた先生がいました。
大原先生とおっしゃる国語の先生で、授業も楽しく、優しかったけれど威厳もあり、この先生が担任だったら、もっと色んなことが頑張れるのに、と思ったものです。
(上手くいかないことを他人のせいにするのは子どもの頃から変わりません。)
その頃通っていたピアノ教室の発表会で、モーツァルトのピアノソナタを弾きました。
その演奏が小さなシングルのレコードとなり渡されたのですが、今聴けば耳を覆いたくなるような演奏だったと思います。
ただただ、機械のように、取り敢えず間違えず暗譜してガチャガチャと弾いただけ。
(因みに、機械のようにというのは、機械のように正確に、ではなく、無味乾燥な、魅力も何も無い、という意味です。)
そのシングルレコードを、私は恥ずかし気も無く張り切って、大好きな大原先生に渡したのです。
数日後、先生からそのレコードと一緒に、一枚のLPレコードを渡されました。
もう何度も聴いたから私に下さるとのこと。
それは、ベートーベンの3大ピアノソナタ "悲愴" "月光" “熱情" で、演奏はアルトゥール・ルービンシュタインでした。
それを擦り切れるほど聴いて、ベートーベンソナタの素晴らしさを知り、ルービンシュタインは、私の中で世界一のピアニストとなりました。
その後、自分のお小遣いで初めて買ったのが、ルービンシュタインのラフマニノフのピアノコンチェルト2番でした。
そしてショパンのソナタ、ポロネーズ、ピアノコンチェルト、と、レコードは増えていき、私の胸の中は、まだ弾けぬ憧れの曲がいっぱい詰まっていきました。
それから幾十年、アルゲリッチ、ソコロフ、ツィメルマン、キーシン、シフ、好きなピアニストはたくさんいますが、ルービンシュタインは私の中の特別な場所に居続けています。
あの時、大原先生は、あの未熟極まりないモーツァルトについて、何もおっしゃいませんでした。
口先だけのお世辞を言う方ではありませんでしたから。
でも、素晴らしい演奏のLPを下さることで、私に何かを伝えようとして下さったのかもしれません。
あの暗かった中学時代、唯一尊敬していた先生が、たまたまクラシック音楽がお好きだったということが、私を音楽の道に案内してくれました。
それを思うと、人生、無駄な時はないのではないかと、改めて感じます。