羽生君のスケートを見ていると、「きれいだな」「美しいな」と思うことが多い。
このブログでも「美しい」と、何度書いたことか。
なぜこんなにも、「美しい」と思うのかを考えてみた。
そうすると、いくつかの理由が見えてきた。
まずは、一つ一つのエレメンツの美しさ。
ジャンプ、スピン、スケーティング、ポージング。
どれもが正しい技術にのっとっている。
そして、それが静止画ではなく、生きて動いている。
この「生きて動いている」というのも、「美しさ」を感じる秘密なのかもしれない。
私は今まで、「美しい」と感じるものは、自然界のものがほとんどだった。
ゆらゆらと踊る木漏れ日。
海面を一筋の道のように照らす月の光。
澄みきった水が流れる清流。
芽吹いたばかりの新緑。
そういうものを「美しい」と感じてきたのだけど、羽生君のスケートを見ていると、それに近い感覚を持つときがある。
自然界にあるものは、静止していることがほとんどない。
風が吹いていて草木を揺らす。
海は絶え間なく波となって、寄せては返す。
川の水は流れ、水面に反射する光は常に揺れ動く。
羽生君のスケートも、それと同じように、常に揺れ動きながら、光を放ったり反射させたりしているかのよう。
そして、「美しい」と感じるもう一つの理由は、そこにありったけの心が込められているからだろう。
人の心は、その時々で、様々に揺れ動く。
喜び、悲しみ、怖れ。
そして、心は、色々なものを内包する。
慈しみ、葛藤、共感、強さ、弱さ。
羽生君のスケートには、羽生君の心が映し出されているように思える。
逆に言うと、まるで心があるから一つ一つの動きが生まれるかのような。
どの瞬間にも心が込められている。
羽生君は、そんなスケートをするのだ。
人の心が感動に震えるのは、人の心に共感したときなのかもしれない。
羽生君のスケートに込められたその心に共感し、その共感が「美しい」と感じさせる。
「美」を感じる心の動きというのは、不思議なものだ。
その不思議さもまた、「美」の秘訣なのかもしれない。