木漏れ日の海 -32ページ目

木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

「GIFT」のアンコール1曲目は、「春よ、来い」だった。

 

今回、追加された舞台裏映像で「notte stellata」を滑った直後のシーンが映った。

あんな一幕があったことを知ったので、その直後に滑られた「春よ、来い」を、感慨深く見た。

 

羽生君はスケートの雄弁さに加えて、表情もすごく豊かで幅広い。

 

試合やショーに挑むときの真剣な表情は、怖いぐらいで、これからハンティングにでも行くかのよう。

(この集中しきった表情が、とても好きなのだが)

 

また、子供のようなピュアな表情をするときもあるし、皆さんがSとおっしゃる表情もある。

 

そんな豊かな表情たちだけど、羽生君はたまに、とてつもなく優しい顔をするときがある。

 

「GIFT」の「春よ、来い」でも、その優しい表情が見られた。

 

それは、プログラムを滑り始める直前。

羽生君がうなずいて、音楽開始の合図をする。

そのときの表情が、とても優しい顔だったのだ。

 

その表情から、この「春よ、来い」が、見る人のために愛情をこめて滑られることがわかる。

 

「GIFT」の本編を見事にやり遂げた直後だけど、自分の中の満足にひたるのではなく、見る人のために心をこめて「春よ、来い」を滑る。

 

この、外に向かう愛情、見る人への愛情が「GIFT」だと思った。

今年の2月、3月に配信された「GIFT」を見た時は、衝撃的なモノローグと、斬新な新プログラムと、懐かしいプログラムたちが一気に押し寄せてきて、「GIFT」の物語を全く受け取れていなかったと、今回の配信を見て思った。

 

今もきちんと受け取れているわけではないと思うけど、今回通して見た感想としては、「GIFTはやっぱりGIFTだった」というものだ。

 

「GIFT」は一見、羽生君の物語のようであって、実は私たち一人一人の物語だった。

 

「つらさ」や「悲しみ」、「喪失」を経てなお生きている、私たち一人一人の物語。

 

そういったものを受け止めて、この場所で一緒に悲しんで、それでも生きていこうというメッセージ。

それがGIFTなのかもしれないと思った。

 

(アンコールの「春よ、来い」と「SEIMEI」。これも羽生君からのGIFTだよなあと、しみじみと思う)

 

「GIFT」本編で披露された最後のプログラムは「notte stellata」だった。

 

「GIFT」の後半は突き刺さるようなモノローグが多くて、このモノローグの後には、いったいどのプログラムがくるのだろうかと、固唾を飲む感じだった。

 

 

「『夢』は、終わった」というモノローグの後に「いつか終わる夢」がきたときは、「なるほど」とうなった。

 

その後にも葛藤を描くモノローグが続く。

そして「おかえりなさい、僕の夢。みんなからのGIFT」というモノローグの後。

 

この局面で、いったいどのプログラムがくるのだろうと、期待と不安が入り混じる中でやってきたのが「notte stellata」だった。

 

「notte stellata」の日本語タイトルは「星降る夜」。

 

「GIFT」という物語の中での「notte stellata」は、「みんなからのGIFT」なのだろうか。

 

羽生君がこのプログラムを滑っているときに、ドーム全体に映し出された無数の光。

まさに、無数の星が空から降ってくるようだった。

 

この星の光がドーム全体と羽生君を包み込む。

 

それは、希望やあたたかさを伴った光なのだろう。

 

星の光というのは、周りが明るいと、あまりよく見えない。

都会の夜、街の明かりの中で見える星は限られている。

 

周りが真っ暗なときにこそ、頭上に輝く無数の星を見ることができる(星に気付くことができると言ってもいいのかもしれない)。

 

3.11のときも、そうだったという。

そういう星の光に希望を見出したと、羽生君は言っていた。

 

この「GIFT」という物語においても、「notte stellata」は、希望の星を降らせるプログラムだったのだろうか。

「GIFT」の物語の中で滑られた「いつか終わる夢」は、まるで「レクイエム(鎮魂歌)」のように感じられた。

 

「『夢』は、終わった」というモノローグの後に、いったいどんなプログラムがくるのかと固唾を飲んで見ていると、流れたのは「いつか終わる夢」の曲。

 

そうだったのか。このプログラムは、ついえてしまった夢に捧げられた鎮魂歌だったのかと(勝手に・・)思ってしまった。

 

そう考えると、クールダウンの動きを取り入れた振付も意味深に思える。

それは、本来なら、その日のスケートの最後に滑られるものだから。

 

やはり、一回、何かがついえてしまった、終わってしまったのだろうか。

 

そして、それを誤魔化さないのだなと。

終わってしまったことは終わってしまったのだと、その事実を受け入れる。

そのためのプログラムなのかもしれない。

 

そして、これは「死と再生」のプログラムなのかもしれない。

「終わりは始まりの始まり」という、プロローグでの羽生君の言葉が聞こえてくるようだ。

羽生君がプロになると聞いたとき、もう6分間練習と、明るい照明の元でのフルの競技プログラムを見ることは、ないと思っていた。

 

ところが、まずはプロローグで「SEIMEI」がきて(試合と全く同じ構成ではないながらも)、そしてついに、「GIFT」に「序曲とロンドカプリチオーソ 」がきた。

 

「GIFT」では、それまでショー特有の照明と映像の中でプログラムたちが繰り広げられていた。

 

それが突然、リンク全体をしっかりと照らし出す照明に変わったと思うと、6分間練習がコールされた。

 

これには驚いた。

 

突然、世界が転換する。

そこで滑るのは羽生君1人だが、試合の世界が立ち現れた。

 

みなが固唾を飲んで見守る中、1人だけの6分間練習が繰り広げられる。

きれいに決まる4回転ジャンプ。

4回転サルコウが決まったときには、歓声がおきた。

みな、これから何が行われようとしているかを理解しているのだ。

 

そしてついに、名前がコールされてプログラムが始まる。

それはまさに、試合の緊張感。

 

「序曲とロンドカプリチオーソ 」の美しい調べが流れるなか、完璧な4回転サルコウが決まる。

みなが見守るなか、4回転ー3回転が成功。

そして、難しい入りからのトリプルアクセルも完璧。

 

最後は、あの素晴らしいステップシークエンスとスピンでフィニッシュ。

 

そこには、充実感にあふれる羽生君がいた。

 

素晴らしい競技プロを滑りきったあとのガッツポーズと充実の表情。

これは、ファンが見たかったものだ。

 

羽生君が見せたかったものと、ファンが見たかったものが、同じであることを幸せに思う。