今回も興味深い話が目白押しだった。
とくに印象に残ったところを順不同で。
おげんさんの「人生の曲」を聴いた後のコメント。
ピアノ曲を聴くと、自分が滑る姿がうかんでくるという。
本当に羽生君は、根っからのスケーターだなと思った。
そしてこれが、自分でプログラムの曲を選んだり、セルフコレオができる理由なのかも。
音楽を聴くと、プログラムのイメージが浮かんでくる。
この曲の世界をどうスケートで表現しようかと、自然に考え始めるのだなと。
ここで豊豊さんの絶妙の質問が入った。
「それは、自分の目線?客観目線?」
羽生君は「観客です」と答えた。
俯瞰で見えるのだと。
この話が、とても興味深かった。
羽生君がプログラムをイメージするときは、自分が滑るのを外から見ている視点なのだ。
滑るのは自分だけど、プログラムのイメージは客観。
これは、何気にすごいことだと思う。
自分の作品(プログラム)を、自分以外の目線でイメージできるのだ。
これができるからこそ、羽生君のスケートは、あんなに美しいのかもしれない。
羽生君のスケートを見ていると、プログラム世界や空間の広がりを感じることがある。
滑っているのはリンクの上で、会場という閉鎖空間の中だけど、そのプログラム世界は会場をはるかに超えて、天にも地にも広がっているように感じることがある。
いつか、そういう話も聞けるといいなと思った。
また、映像にフィルターがかかっていて、色あいが浮かぶというのも、興味深かった。
プログラムごとにイメージする色があるのかなと。
また、フィルターがかかるというのは、どういう感じなのだろう。
例えばカメラの場合だと、フィルターを変えることによって見え方や色味、世界観が変わる。
そんな感じで、プログラムごとに見える世界が変わるのかもしれない。
そういうふうに、色や世界観がプログラムごとに違っていて、だからこそ、あんなにも多彩なプログラムを滑れるのかもしれない。
また、競技時代の曲選びの話もあった。
競技用の曲選びは、「受け」と「インパクト」と「らしさ」が大事なので、曲を決めるのは大変だったという。
自分に合うかまで考えると、ドツボだと。
ひるがえって考えてみると、プロになってからの選曲は、そういった制約がなくなったということ。
プロになってからショーで披露された「いつか終わる夢」「阿修羅ちゃん」「あの夏へ」を改めて考えてみた。
これらの曲は、羽生君が表現したい世界を見せるための選曲なのだと思う。
そう考えると、しみじみと感慨深い。
そして、次に披露される新プログラムが楽しみでならない。
どんな曲で、どんなフィルターや色合いのイメージのプログラムを見せてくれるのだろう。
そして、最後のほうにでた話。
今、先が見えない。
怖いし不安だらけだけど、可能性は無限大だと思って努力している。
自分が人生を終えるときに、いいものを残したなと胸をはっていられるように、毎日を過ごしたい。
それに対する、おげんさんの言葉。
未来が見えないというのは、一番いい状態。
「こうなりたい」というのがしっかりとあるうちは、誰かがやっていることがビジョンにあるから。
最先端で誰も降り立っていない島に一人で立っている。
その先が真っ暗というのは、とても面白くて。
はたからみると、未来がある。
でも自分は未来が感じられないというのが、表現者として一番面白い状態だと思う。
なるほど。表現者というのは、とても大変だなと、自分なんかは思ってしまう。
先が見えない真っ暗ななかで、自ら灯りをともして、形あるものを作らなければならない。
これは全く経験したことがない境地。
経験した人にしか分からない世界なのかもしれない。
おげんさんの言葉は力強く、あたたかかった。
この番組は、3人が、相手の話に真剣に耳を傾けて、楽しいことも深いことも語り合う。
とても良い番組だった。
おげんさん、豊豊さん、ありがとうございました。