木漏れ日の海 -24ページ目

木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

※今回の記事は、個人的な思い込み(妄想も含む)が強めになっています。

 

堂本光一さんと対談した「スイッチインタビュー」の放送が近づいてきている。

 

インタビューの内容が一部公表されているけど、とても興味深い内容なので、放送を楽しみにしている。

 

中でも気になったのが、羽生君のこの言葉。

 

「自分が突き詰めれば突き詰めるほど、ここまで突き詰めなくて良いと思っている方もいる。正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高だなと思う」

 

ファンの私の目から見ても、羽生君が抱える孤独や孤高は、色々な面において、あるのかなと思う。

 

まずは「理想のスケート」について。

 

羽生君が目指すスケートは、とても高みにある。

 

正しい技術、技の密度、音楽との調和、表現。

 

これらを、とことん突き詰めて磨いてきたのだけど、他のどのスケーターも(おそらく)そこまでは突き詰めていない。

 

誰も同じところを目指していないというのは、孤独で孤高なのではないだろうか。

 

また、フィギュアスケートは非常に競技人口が少ないスポーツなので、一般人やファンの中に「経験者」がほとんどいない。

 

これが、サッカー、野球、バスケ、水泳といった他のスポーツとの違いだ。

(例えば友人は、学生時代ずっとサッカーをしていて、今は熱心にプロサッカーを応援している。おそらく、プロのすごさを理解しているのだと思う)

 

私たちファンは、羽生君のスケートがすごいことを感じるけど、どれだけ難しいことをしているのかを理解することは、できない。

スケート技術のすごさを、ほとんどの人が本当には理解できないというのは、フィギュアスケートの特徴かもしれない。

 

そして、これは私が勝手に思っていることなのだけど、羽生君の愛情というのも、稀有なものだと思う。

 

羽生君がスケートを滑るときに込める愛情というのは、ファンに向けてだけでなく、もっと広い気がする。

ファンではなくても、そのスケートを見る人全てに届けたいというような。

 

プロ転向1年目のメッセージに次のような言葉があった。

 

「コロナのこと、世界のこと、多くの自然災害のこと、目紛しく進む時間の中で、たくさんの事に向き合って、表現できることを増やしたり、技術を磨いてきました。」

 

なんというか、震災のことだけでなく、これだけ沢山のことに心に留めながらスケートをしているのだなと。

そういう、大きな愛情をもっているのだと思っている。

 

これだけの思いを持っていて、なおかつ世に出て発信している人というのは、少ない。

そこまでの思いというのは、なかなか他の人には理解できないのかもしれないし、同じような人が少ないという意味で、孤高だなと思う。

 

そして最後に挙げたいのは、プログラムの世界観について。

 

昨日、SOIでの「あの夏へ」を見たのだけど、このプログラムが持つ世界観はすごいと思う。

 

今この空間とは、全く別の空間がリンクの上に立ち現れているというか。

 

いったいどうしたら、こういう空間を作れるのかと考えたとき、羽生君の中に、こういう世界があるからではないかと思う。

 

それは、誰も見たことのない世界かもしれない。

 

そういうものを見せることができる表現者というのは、ただ一人、誰もいない世界を探究しているのかもしれない。

それは、孤高であり、孤独な世界なのかもしれない。

 

そう考えると、「正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高だなと思う」という言葉に、しみじみと納得する。

 

それでも、だからこそ、今まで見たことのない、素晴らしい世界を見せてもらっているのだとも思う。

いよいよ「RE_PRAY」まで、あと1か月近くになった。

 

最近は、「RE_PRAY」について思いをめぐらせている。

 

そんな中でマイブームが、たまアリで開催された2021年全日本のSP「序曲とロンドカプリチオーソ」とFS「天と地と」を見ること。

 

これらの映像を見ながら、たまアリを脳内でシミレーションしている。

 

この時の映像を見ると、羽生君の、空間を支配する力をすごく感じる。

羽生君が氷上に立ってひとたびプログラムが始まると、特別な空間がそこに生まれる。

 

満場の観客が、固唾を飲んで見守っている。

そこには多くの人がいて、たくさんの人の視線が注がれる。

 

それは、張り詰めた静寂。

 

そして、その中心に羽生君がいる。

 

羽生君が滑ると、リンクが特別な空間になる。

このなんとも言えない、凝縮されていて、ピンとはりつめた空間。

 

静かなエネルギーに満ちる空間を、羽生君のスケートが支配する。

 

これが、試合の醍醐味だった。

私は競技における羽生君のスケートも大好きだった。

 

明るい照明に、競技用の大きなスケートリンク。

その中で、多くの人の視線を一身に浴びながら繰り広げられる最高のスケート。

そういう空間が誰よりも似合うスケーターが、羽生君だ。

 

今回の「RE_PRAY」で気になるのは、明るい照明のもとでの6分間練習と競技プロがあるかということ。

 

これまでの単独公演では、これがあった。

 

「プロローグ」では「SEIMEI」。

「GIFT」では「序曲とロンドカプリチオーソ」。

 

今回もあるかは、五分五分かなと思う。

 

というのも、「RE_PRAY」は一貫した演出で、一貫した世界観が繰り広げられると予想されるから。

 

明確なコンセプトのある「ICE STORY」になると思うので、そうなると、6分間練習と競技プロというのは、そぐわないかもしれないなとも思う。

 

こんなふうに、どんな世界が見れるのかな、どんなプログラムを滑るのかなと、色々と思いをめぐらせるのは楽しい。

 

いずれにせよ、はっきりと言えるのは、驚きに満ちた素晴らしい「ICE STORY」になるのだろうということ。

 

今夜も、そのための準備と練習に励んでいるのだろう。

思い描くスケートを全うできますようにと、その心身の健康を祈る日々が続く。

最近、平昌以降の羽生君の競技プロを見ている。

 

オトナル 秋によせて

オリジン

序奏とロンド・カプリチオーソ

天と地と

 

どのプログラムも素晴らしい。

洗練の極み。

 

そして、これらのプログラムを見ていると、羽生君のスケートが年々うまくなっていることがわかる。

 

私が羽生君のファンになったのは、2014年のグランプリファイナル。

20歳になったばかりだったけど、それまでに見たどのスケーターよりも素晴らしかった。

 

20歳の時点で相当の高みに達していたけど、それ以降もそのスケートは、成長し続けた。

 

考えてみたら、20歳であそこまでいくポテンシャルを持っているのだから、その後も同じような成長曲線でスケートが向上し続けていっても不思議はない。

 

23歳のときに「バラ1」と「SEIMEI」でオリンピック連覇。

そして、その後も成長を続けた。

 

平昌オリンピック後のプログラムたちは、今見ても鳥肌もの。

スケート技術の向上とともに、プログラムの密度や技の完成度が上がっていっているのが分かる。

 

特に顕著なのがスケーティングと、体の使い方。

 

スケーティングはどんどん深く、鋭くなっている。

また、体の使い方が洗練されていっているので、一つ一つのポーズが美しい。

 

そして、そういった競技プロたちの延長線上にあるのが「僕のこと」だと思う。

 

このプログラムは、フリー以上のフリープログラム。

 

現段階で、最高のスケート技術が注ぎ込まれたプログラムだと思う。

 

通常のフリーよりも長い演技時間、多いジャンプ。

スピンやステップなどのエレメンツもひととおり入っている(ように思える)。

 

多くの高難度ジャンプを決めきったあと、最後のスケーティングがもっとも速くて伸びがある。

驚異的なスタミナ。

 

本当に、羽生君のスケートは成長を続けている。

どこまで行くのか、計り知れない。

 

これこそが、スケーター羽生結弦の芯だと思う。

ANAさんから、とても興味深い企画が来た。

次々と繰り出される質問に、羽生君が即興で答えていくという。

 

その動画を見たうえでの雑感を書いてみたい。

(1回見ただけなので、うろ覚えのところが多いし、順不同になるけど)

 

まず、本当に一問一答という潔さが印象的。

もっと深堀して聞きたいこともあったけど、一言答えたら、どんどんと次の質問にいく。

 

印象的な部分を思い出してみる。

 

Q.タイムトラベルできるとしたら?

A.3歳のころの、物心つくころに行きたい。

 

これは、斬新な答えだと思う。

普通は、歴史的瞬間を見たいと思う人が多いのではないだろうか。

私の場合は考古学ファンなので、ピラミッド建設現場とか歴史ミステリーの謎をのぞいてみたい。

3歳のころに戻ってみたいというのは、どんな感覚なのだろう。

羽生君は、「9歳の自分」とか「赤ちゃんのころの夢の中」とか、子供のころの感覚を大事にしている。

 

Q.無人島に3つ持っていくとしたら?

A.ナイフ、マッチ、水

 

これは、かなり現実的な答え。

リアリストな一面が見えた。

 

Q.一番嬉しかった瞬間は?

A.平昌オリンピックの「SEIMEI」最後のコレオシークエンス

 

これが聞けて嬉しかった。

最後のジャンプが決まって、オリンピック2連覇を確信した瞬間、満場の観客に見つめられながらのコレオシークエンス。

本当に歓喜の時間だった。

私が競技時代の羽生君を見ていてすごく嬉しかったのも、こういう瞬間だった。

SPでもFSでも、全てのジャンプが決まった後のコレオシークエンスというのは、格別だった。

平昌のバラ1や、ヘルシンキのホプレガも忘れ難い。

ジャンプが決まる度に高まる会場のボルテージと、見守るファンの心。

最後のジャンプが決まった瞬間、最高潮に達する。

その興奮と喜びの中でのコレオシークエンス。

その瞬間が、羽生君の中でも宝物だと知ることができて、嬉しかった。

 

Q.生まれ変わるとしたら、何になりたい?

A.羽生結弦

 

これもストレートな答えで、聞けてほっとした。

というのも、羽生君はスケートに出会わなければ、全く別の人生があったのだろうなと常々思っていたから。

スケーター「羽生結弦」の人生は大変なことが多いだろうから、もし、羽生君が「羽生結弦」以外のものになりたいと思っていたら・・、と想像することがあった。

生まれ変わっても「羽生結弦」というのは、スケーター「羽生結弦」をすごく肯定しているから、ファンとして「羽生結弦」を好きでいていいのかなと、ほっとした。

 

Q.ファンに伝えたいことは?

A.これからも全身全霊で羽生結弦を貫き通します

 

この質問に対しては、珍しく考える時間が長めだった。

「これからも応援してください」といった、普通の答えではなく、本当に伝えるべきことを探しにいっていたように思えた。

そうして出てきた言葉だった。

 

この言葉を聞いて思ったのは、羽生君にとって「羽生結弦」というのは、とても大切なものなのかな、ということ。

そして、私たちファンにとっても。

 

考えてみれば、「スケーター羽生結弦」というのは、羽生君が4歳のころから毎日スケートを頑張って、頑張って磨き上げてきた存在。

 

そのスケートが多くの人を魅了して、たくさんのファンが見つめるなかで滑られてきた。

そして、羽生君の周りの人がサポートして、羽生君自身が頑張って頑張って、さらに美しく磨き上げられた。

 

そのスケートは、みんなの大切なものなのかもしれない。

羽生君にとっても、羽生君の周りの人にとっても、ファンにとっても。

 

「羽生結弦を貫き通す」というのは、これからも「スケーター羽生結弦」を大切にしながら、磨き上げていくということ。

 

今までも、これからも一貫している。

そんな言葉を聞けた一問一答だった。

昨日の正午に「notte stellata」から、写真集が発売されるというお知らせがあった。

 

これをきっかけにして、久しぶりに、録画しておいた「notte stellata 完全版」を見た。

この番組は繰り返し見ているのだけど、いつも決まった見方をする。

 

最初は11日の黙とうのシーンから始まる。

11日の「notte stellata」を見たら早送りをして、11日の「春よ、来い」を見る。

 

そして、12日の「notte stellata」を見て、最後に12日の「春よ、来い」を見る。

 

いつもこの見方をしてしまうのだけど、何度見ても圧巻は12日の「notte stellata」。

 

冒頭から、「何かが違う」滑り。

 

同じプログラムだけど、11日の滑りとは違うし、試合後のエキシや「GIFT」などで、何度も見てきた滑りとも違う。

 

もちろん、今までの滑りも、一期一会で素晴らしかった。

 

だけど、12日の「notte stellata」は、とりわけ心に響く。

 

それは、11日を経ての12日だからだろうか。

 

たった1日しかたっていないのに、12日の「notte stellata」は、なんだかすごい境地に行っているような気がする。

 

何度見ても、見る度に深く感動する滑り。

 

本当に、羽生君のプログラムは、その1回1回が宝物だと、しみじみと思う。