※今回の記事は、個人的な思い込み(妄想も含む)が強めになっています。
堂本光一さんと対談した「スイッチインタビュー」の放送が近づいてきている。
インタビューの内容が一部公表されているけど、とても興味深い内容なので、放送を楽しみにしている。
中でも気になったのが、羽生君のこの言葉。
「自分が突き詰めれば突き詰めるほど、ここまで突き詰めなくて良いと思っている方もいる。正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高だなと思う」
ファンの私の目から見ても、羽生君が抱える孤独や孤高は、色々な面において、あるのかなと思う。
まずは「理想のスケート」について。
羽生君が目指すスケートは、とても高みにある。
正しい技術、技の密度、音楽との調和、表現。
これらを、とことん突き詰めて磨いてきたのだけど、他のどのスケーターも(おそらく)そこまでは突き詰めていない。
誰も同じところを目指していないというのは、孤独で孤高なのではないだろうか。
また、フィギュアスケートは非常に競技人口が少ないスポーツなので、一般人やファンの中に「経験者」がほとんどいない。
これが、サッカー、野球、バスケ、水泳といった他のスポーツとの違いだ。
(例えば友人は、学生時代ずっとサッカーをしていて、今は熱心にプロサッカーを応援している。おそらく、プロのすごさを理解しているのだと思う)
私たちファンは、羽生君のスケートがすごいことを感じるけど、どれだけ難しいことをしているのかを理解することは、できない。
スケート技術のすごさを、ほとんどの人が本当には理解できないというのは、フィギュアスケートの特徴かもしれない。
そして、これは私が勝手に思っていることなのだけど、羽生君の愛情というのも、稀有なものだと思う。
羽生君がスケートを滑るときに込める愛情というのは、ファンに向けてだけでなく、もっと広い気がする。
ファンではなくても、そのスケートを見る人全てに届けたいというような。
プロ転向1年目のメッセージに次のような言葉があった。
「コロナのこと、世界のこと、多くの自然災害のこと、目紛しく進む時間の中で、たくさんの事に向き合って、表現できることを増やしたり、技術を磨いてきました。」
なんというか、震災のことだけでなく、これだけ沢山のことに心に留めながらスケートをしているのだなと。
そういう、大きな愛情をもっているのだと思っている。
これだけの思いを持っていて、なおかつ世に出て発信している人というのは、少ない。
そこまでの思いというのは、なかなか他の人には理解できないのかもしれないし、同じような人が少ないという意味で、孤高だなと思う。
そして最後に挙げたいのは、プログラムの世界観について。
昨日、SOIでの「あの夏へ」を見たのだけど、このプログラムが持つ世界観はすごいと思う。
今この空間とは、全く別の空間がリンクの上に立ち現れているというか。
いったいどうしたら、こういう空間を作れるのかと考えたとき、羽生君の中に、こういう世界があるからではないかと思う。
それは、誰も見たことのない世界かもしれない。
そういうものを見せることができる表現者というのは、ただ一人、誰もいない世界を探究しているのかもしれない。
それは、孤高であり、孤独な世界なのかもしれない。
そう考えると、「正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高だなと思う」という言葉に、しみじみと納得する。
それでも、だからこそ、今まで見たことのない、素晴らしい世界を見せてもらっているのだとも思う。