努力とは | 木漏れ日の海

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フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

「Quadruple Axel 2024羽生結弦SPECIAL」に載っていたMIKIKO先生の言葉で、とてもプロフェッショナルで厳しい言葉があった。

 

羽生君の努力のすごさをたたえた後で、努力ができないのなら人前に立ってはいけないと。

 

この言葉の厳しさから、プロフェッショナルの矜持を感じた。

 

人にお金を払ってもらって、見てもらうというのは、大変なこと。

ましてや、多くの人に見てもらうとうのは、途方もない。

 

才能があるのは、当たり前。

そして、努力するのも当たり前。

というのが、プロフェッショナルの世界なのだなと思った。

 

以前見たバレエの番組で、バレエの先生が言っていた言葉が印象的だった。

 

才能があったり、資質に恵まれている子は、それなりにいる。

でも、そのうえで努力できることが大切だと。

 

「努力」という点において、羽生君はとてつもない。

 

競技時代からそうだった。

その練習風景を見る度に戦慄していた。

 

氷に何度たたきつけられても、ジャンプの練習を繰り返す。

どんなに息があがっていても、その目は次の練習、次の動きを見据えている。

 

そして努力のすさまじさは、プロになってからも変わらない。

舞台裏の映像を見る度に驚かされる。

 

実際には、見せていないところで、この何倍もの努力が行われているのだろう。

 

その原動力は何なのだろう。

想像(妄想)でしかないけど、それは理想とのギャップなのかもしれない。

 

思い描く理想に現実が追い付いていないとき、そのギャップを埋める手段は努力しかない。

 

そしてその場合、努力しない自分は許せない。

努力してやっと、自分で自分に安堵できる。

 

以上は一般論かもしれない。

 

そして、羽生君の場合、「見る人」というのが常に念頭にある気がする。

 

「見る人」に少しでも良いものを届けるためにどうするか。

その答えも努力なのかなと。

 

「見る人」に対する誠意と愛情をひしひしと感じる。

 

そんな諸々の要因が「努力」に行きつくのかなと思う。