「ほぼ日刊イトイ新聞」に糸井さんと羽生君の対談が掲載された。
1月に出た糸井さんのつぶやきから「羽生君と対談したのでは」と話題になっていた。
そのころから、ひそかに公開を楽しみに待っていた。
第1回から充実の内容。
読んだ感想を書いてみたい。
羽生君の言葉
「ジョニーさんが目指している芸術性だったりとか、求めている美しさ、かっこよさ、みたいな価値観が自分と近いなと感じていましたから」
考えみたら、「美しさや、かっこよさ」をまっすぐに目指せるというのは、すごいと思う。
「美」を眺めたり愛でたりすることは、たやすいけれど、「美」を生み出すことは、並大抵なことではない。
良いものをつくろうと目指すことはできるし、ある程度実現することができるけれど、「美しいもの」をつくるというのは、とても大変なことだと思う。
「美しいもの」というのは、純粋で、磨き抜かれた鍛錬の先にやっと現れる。
ひたすらにイメージして、臆せず、照れず、腐らずに追い求める必要がある。
羽生君のスケートに「美」が宿るのは、そうやって追い求めてきた結果なのだなと、しみじみと思った。
糸井さんの言葉
「ぼくからすると、ジョニーさんも羽生さんも、『この人間は、なにかしたがってるんだな』というところでは同じなんですよ。」
「RE_PRAY」の羽生君のMCで繰り返されてきた印象的な言葉がある。
「表現したいことを表現させてもらっている」という内容の言葉。
私はこの言葉を聞くたびに感心するし、感動する。
羽生君には「表現したいこと」があるのだな。
そして、それをスケートで表現しているのだな、と。
「表現したいことがある」という言葉を羽生君の言葉として聞けるのが、いつも、とても嬉しい。
その気持ちこそが、素晴らしいプログラムを生み出す源泉だと思うから。
糸井さんの「なにかしたがっているんだな」という言葉を聞いて、「なにかしたがっている」ことこそが、羽生君のスケートの源なのかなと思った。
羽生君の言葉
「ひたすら憧れて、努力してそこに向かっていって、憧れを超える、みたいなことをずっと続けてきたのが、ぼくにとってのフィギュアスケートなのかな、っていうのは思いますね」
「最初に憧れてしまった人が、オリンピック金メダリストだったんで(笑)。そしたら、まぁ、必然的にオリンピックで金メダル以上、2連覇、みたいな感じになっていったのかなと思います。」
この「憧れを超える」という発想が、すごいと思う。
フィギュアスケートのライトファンだったころ、プルシェンコさんとヤグディンさんの息つまる対決を見ていた。
どちらも、素晴らしいスケーター。
この2人を超える男子スケーターは、もう出てこないかもしれないと思っていた。
そしたら、まさか日本から現れた。
そのことにびっくりしたし、感動した。
羽生君の原動力となったのが、「憧れを超える」という発想だったとは。
普通は、なかなか出てこない発想だと思う。
憧れの存在というのは、ものすごい高みにいるわけで、あおぎ見ることはあっても、そこを超えるという発想は出てこないのではないかと。
もともとの思考回路、発想からして突き抜けている。
ここが羽生君の不思議。
(不思議だと思うのはあくまで自分の考えで、羽生君からしたら不思議でもなんでもない、当たり前のことなのだろう)
糸井さんとの対談は第1回から、とても読みごたえがあった。
羽生結弦という稀代のスケーターの秘密の一端が明かされる予感に満ちている。