塔の作家・小津安二郎 その17 森栄さん「考える人・小津安二郎特集」「東京の宿」 | トトやんのすべて

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および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

さて。つめこみすぎのタイトルですが――

ようするに、ですね。

 

1935年(昭和10年)の小津安二郎は

森栄さんと出会ってしまったために

つまらん作品しか撮っていない。

 

ということを書きたいわけです。

 

□□□□□□□□

森栄さん。といえば

小津安っさんが結婚したかもしれない唯一の女性。なわけですが――

彼女に関して わたくし

長年 思い違い……

というかヘンな思い込み をしておりまして――

 

「小津安二郎・人と仕事」 146ページ掲載の

この写真↓↓

小津・池忠さんと一緒に写っている

このふくよかな女性が かの栄さんなのだろう、

と思っておったのです。

 

まず

「池田忠雄達と」

という解説がすこぶるアヤシイ。

 

「達と」――……

なぜ口ごもるような解説なのか?

何か隠していないか?

 

日記によると、小津安っさん。

池忠さんとよく 栄さんのいる小田原・清風に行っているんである。

(話がそれるが、小津という人はあまり一人では行動しないタイプのヒトだったようだ)

 

そして、この写真のすぐあと、147ページから 柳井隆雄さんの文章がはじまるのですが、

話題はその栄さんのこと……

 

「父ありき」の仕事を、池田忠雄と三人で一緒にしていた頃の話であるが、尤も「父ありき」の最初の稿が完成した直後に安二郎の応召があったので、応召から帰って更に稿を改めつつあった頃であったか、多分前の時であったと思うが、夏の暑い日、私たち三人は箱根の湯本温泉、清光園に遊びに行ったことがあった。三人と云ったが実は四人で、当時安二郎には小田原芸者の愛人があり、その時彼はその愛人を伴っていたのである。(この愛人と安二郎のことは、当時小田原に住んでいた作家の川崎長太郎氏が小説に書いて発表したりして話題を呼んだこともあるので知っている人も多いと思う)

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」148ページより)

 

つまり――……編者としては、

栄さんはまだ存命で、小津安っさんとは別の男性と結婚している、

で、堂々と写真の解説に名前を書くわけにはいかない、

が、「小津安二郎・人と仕事」に森栄さんの写真を掲載しないわけにもいかんじゃないか……

という事情が、

「池田忠雄達と」

にこめられているのだ。

絶対にそうだ……

とおもっていたのですが、

 

今回、1935年の 「全日記小津安二郎」などみたりしているうちに

「小津安二郎・人と仕事」のあのヒトは 本当に森栄さんなのだろうか?

とふつふつ疑問がわいてきまして――

そういやインターネットなる

文明の利器があったんだっけ……

と思いまして、「小津安二郎 森栄」と検索をかけますと――

 

なんと、

季刊誌「考える人」 2007年冬号

に、かの森栄さんの写真が掲載されている、というじゃありませんか。

で、さっそく、これまた文明の利器で この雑誌を購入。

 

さっそく読みます。

ん、だが、

たしかに小津安二郎特集だが……

 

鮭茶漬けの写真など↓↓ おいしそうですが……

(に、しても鮭、多過ぎじゃね?)

特集記事の中には 栄さんらしき写真はない……

 

ガセネタか??……とおもいはじめたのですが……

 

あったあった。

ほぼ巻末。小さな写真ですが――

 

森栄さん ものすごい美人でやんの……

 

もちろん(?) 「小津安二郎・人と仕事」の、あのふくよかなヒトとは違いました。

(しかし……となると、あのかわいいぽっちゃりさんはどなた? 池忠さんの関係者? だったら何故書かない?)

 

ホンモノの森栄さんは、なんといいますか、

 

川崎弘子と桑野通子を足して 二で割ったみたいな……

(↑↓「新女性問答」(1939)より)

 

なんとまあ、「小津好み」な美人でした。

 

こんな人と恋愛していたのでは まあ、1935年の小津作品が不作だというのも

ムリはないわけです。

 

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その1935年。

三十代の小津安二郎くん。

傑作「浮草物語」(1934)のつぎは

大スタア・田中絹代ちゃん主演の 「箱入娘」(1935)なる作品を撮ったらしいのですが、

これはプリントが残ってません。

 

シナリオを見る限りではつまらなそうですが、

シナリオだけではなにも判断ができないのが小津安二郎ですから、

作品の良しあしはわかりません。

ただ お客はあまり入らなかったらしいです。

小津本人の評価も低い。

 

で、今回は、

14、「東京の宿」(1935)

 

「小津安二郎・人と仕事」では

「東京の宿」がつまらない理由が3つあげられているわけですが……

つまらない理由① 「東京よいとこ」(「一人息子」)の製作延期。

つまらない理由② 六代目の「鏡獅子」の撮影と同時進行だった。

つまらない理由③ 森栄さんとの出会い。

 

皆さん、もうご存知でしょうが(笑)

③の理由が一番大きいわけです。

小田原「清風」の芸者・千丸の存在――……

撮影現場にいるより、さっさと小田原に行きたくてしかたなかったわけです。

(日記によると栄さんが東京に来るパターンもあったりするわけだが……このヤロー(笑))

 

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はなしがコロコロ変わるのですが……

というか、本題なんですけど。

作品の分析、しますけど。

 

「東京の宿」(1935)

「塔の作家・小津安二郎」の面目躍如!

とでもいうように 「塔」が頻出します。

 

いじわるな見方をすると、

気合の入っていた「浮草物語」(1934)は、

意図的に大好きな「塔」のショットを封印し、

若い二人のラブシーン(三井秀男&坪内美子)に、

効果的に「塔」をちりばめる、というクレバーな攻め方だったのに対し、

 

あまりやる気のない「東京の宿」は、

とりあえず 好きな「塔」を撮っておけ、

というやっつけ感が漂っている、という感じ。か。

 

やっつけ、とはいえ、(←あくまで勝手な意見(笑))

やはり「塔」を撮らせたら 小津安っさんは第一人者だということは――

 

松竹の先輩

島津保次郎あたりと比べると明らかでして――

以下2枚 「隣の八重ちゃん」(1934)冒頭近くですが、

 

島津親父の「塔」は あくまで人物の引き立て役でしかないわけです。

逢初夢子&大日方伝のカップルが

東京郊外の新興住宅地に住んでいるよ。という説明でもある。

 

ちなみに二人で仲良く銭湯に行く、という場面です。

 

島津はダメで、小津は素晴らしいということではなくて、

両者の攻め方の違いを言っております。

 

じっさいに作品の良し悪しで言ったら、

島津の「隣の八重ちゃん」のほうが点が高いでしょう。

 

島津作品。

おそらくカメラの高さは 成人男性の目線の高さかな。

透視図的にみるとすると、

消失点の高さは大日方伝の頭のあたりに来そうですね。

 

これが小津になると 様相がまったく変わって来まして……

「東京の宿」S19ですが、

 

「塔」が美しすぎるんですよね。

送電塔の列の美しいこと。

ガスタンクの不気味さ。

 

そして空舞台ショット。

人物がいなくなったとしても それはそれで成立してしまう美しさ……↓↓

 

上の「隣の八重ちゃん」は、逢初夢子たちがいなくなったら、なんの意味もないわけです。

が、小津の「塔」のショットは 坂本武がいなくなったあとも成立する。

「工業都市・東京」のスナップ。

 

あ。カメラ位置はもちろんローポジションですね。

だから、↑1枚目の画像。 人物たちの大きさは「塔」の大きさと同じ大きさに撮られているわけです。

もちろんスクリーン上での大きさのことをいっています。

 

この……小津の異常さ。

「塔」という被写体への執着を頭にいれていただいて 以下ご覧いただければとおもいます。

 

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ようやく時系列でみていきます。「東京の宿」――

 

しょっぱな「選挙粛正」ってすごいですね。

今の日本でもやってみてはいかがか?

 

1935年はこんな。

1934年のワシのマークはあからさまにファシストっぽかったが、

これもまた↓↓

男性的で……どっちかというと女性的イメージの強い「松竹」ブランドとは違和感を感じる。

時代の空気なのかなぁ。

 

土橋式松竹フォーンとやらいう「サウンド版」

音楽付きのサイレントみたいなシロモノです。

 

セリフはあいかわらず字幕です。

 

S1 道

下町の工場地帯の道。

失業職工の喜八、その長男善公、次男正公の三人がとぼとぼとやって来る。

 

ものすごいローポジションです。

アリの目線(笑)

画面の半分以上地面、という……

 

つまらない理由をさっき書きましたが、

スクリーン上での「つまらない理由」を書きますと――

「暗号」がないんですよね。

 

「母を恋はずや」(1934)→「+」

「浮草物語」(1934)→「=」

と、1934年から 作品全体を支配する図形・テーマを決めて撮るようになったわけです。

 

それがどうも見当たらない。

これは手を抜いてるとしかおもえない。

 

あるいはトマス・ピンコが気づいていないだけなのか?

いや――ないんですよ。この作品には。

 

毎回毎回 サイレント時代の小津は

なにかしらの新しいテクニックを発明していたようにおもうのですが――

「東京の宿」は それがぱったり終わってしまっていますね。

新機軸がみられない。

 

おそらく小津サイレントの最高峰は「浮草物語」で、

それ以降は「トーキーをどう作るか?」が彼の主要問題になっていて、

 

「東京の宿」は既存の もうおなじみのテクニックで作っているようにおもえる。

ただ、まあ……ロケ撮影が多いというのは、新機軸といえば新機軸かもしれないが……

 

あと、かっこいいんだよね。工業都市・トーキョーが↓↓

なんかアンジェイ・ワイダでもみているかのような感じがする。

ピストルを持ったチブルスキーでも出て来そうな感じ。

 

ただ、慣れないロケ撮影のせいか??

白とびしちゃってる感じ。

露出オーバーなショットが多い気がする。

ただ、小津自身はローキーはあんまり好みじゃなかったようなので

これが彼の適正露出なのか??

まあ、このあたりはカメラの茂原さんの責任になるのかな。

 

S4 工場の門

喜八、やって来る。新聞の切抜き(或は紙片)を見てから門番の処へ近付く。

門番、新聞か雑誌を読んでいる。

喜八、ペコペコして門番に「済んませんが……」

「使って貰えませんかね?」

 

というのだが、

門番にペコペコしたって仕方ないだろう。人事担当じゃないんだから……

あと「水曜どうでしょう」の藤やん似の門番は↓↓

口利き料が欲しいということなのかね? ここは。

 

もとい、

このカットバックは

トマス・ピンコの野郎がいう「上下方向の視線の交錯」なわけですが。

 

「出来ごころ」(1933)における上下方向の視線の交錯というのは、

日本間において、

二人のうちどちらかを 律儀に立たせたり、あるいは坐らせたりして

実にうまく 二人の視線の高低差を出していたのですが――

それがわれわれ観客を感動させたわけなのですが――

 

ここはそういう緊張感は皆無。

ただ上下方向なだけ。

 

S5 道

子供達、待っている。

喜八、戻って来る。

 

などというのですが、

クレーンかっこいいなぁ、と背景しか目に入らない。

いや。たぶんクレーンが撮りたかったんだよ。小津安っさんは。

 

この頃。親父さんが亡くなったせいで経済状況は苦しかったというのだが、

しかし衣食住に不自由するような身分でもなし、

ようはお小遣いが前より少なくなったというだけのことのようです。

そもそも「全日記小津安二郎」をみてみれば

仕事(会議やロケハン)も含まれるとはいえ あちこちの温泉地にいって

チャブ屋にも行ったりして

 

川崎弘子と桑野ミッチーを足して二で割った(←トマスの主観です)

ものすごい美人とも恋愛して……と、

 

まったく、保守ブルジョワでしかないこのヤローは、

社会主義とか、ルンペンプロレタリアートの生活なんぞに興味をもってはいないのです(断言)。

「塔」が撮りたいんですよ。

ゴゴゴゴゴとか動くクレーンが。

あと、あとででてきますが、汽車とか電車とかね。

あと、まだソ連に駆け落ちする前の岡田嘉子の横顔とか撮っていれば満足なんですよ。

 

ようするになにをトマス・ピンコの野郎は憤っているかといいますとね、

だったら、だったら、

工業都市・トーキョーを背景に

子供達のおはなしでも撮ったらおもしろかったんじゃないですかね?

とおもったりするわけです。「生れてはみたけれど」プロレタリアートバージョンをね。

突貫小僧だっているわけだし。

 

それを、まあ、「あの喜八でいいんじゃね?」と

安易に「喜八もの」にしちゃったために なんか甘ったるいシナリオになっちゃったんではあるまいか??

 

あと、

あくまで個人的な感想なのですが……

突貫小僧の弟役の子 末松孝行君というらしいですが、

 

この子が目鼻立ちがぱっちりしているせいで

ゲシュタポがワルシャワゲットーを撮影したフィルムなんぞを思いだしちゃうんですよね。

ディスカバリーチャンネルかなにかで見た

飢えて痩せ細って餓死してしまう ユダヤ人の子供たちを

なんか思い出しちゃうんですよね……

 

もっと和風の子を使ってくれればよかったのに……

 

もちろん1935年、ナチスの蛮行はまったく明らかになっておりません。

ヒトラー=偉人 の頃です。

 

ただ小津らしい「異常さ」は……

 

この親子三人以外、まったく「人間」がでてこない工業地帯。

 

もちろん「小学生の一団のショット」「労働者の一団のショット」等ありますけど。

基本。スクリーン上にあらわれるのは無人の工業地帯という不気味さ。

 

そして「犬」

 

S10 原っぱ

野良犬が行く。

善公、犬の方へ走って行き「こいこい!」と捕えようとする。そして犬を追って行く。

喜八、ぐったりしている正公を背負って、善公のあとを追う。

電柱に狂犬病予防デーの貼り紙。

 

突貫小僧が犬をみて 「犬!」というのならはなしはわかる。

だが「四十銭!」というすさまじさ。

 

この頃の「狂犬病予防デー」に関して

やはりインターネットなる文明の利器で調べて見たのだが

よくわからない。

しかし、当時の貧乏国家日本の役人が、野犬にワクチンをうったりするわけもなく、

おそらく撲殺してしまうのではあるまいか?

 

この背後の火葬場の煙突みたいな不気味な煙突はそのことを示唆しているのではないか?

 

野良犬を発見→野良犬を捕まえる。

野良犬はカネになる(40銭)→夕食が食べられる。

 

というこのシークエンスはすさまじいです。

 

 

 

 

また犬を捕まえる。

 

こんな工場建築は↓↓ 今でもありそうな感じ。

 

だが、兵隊さんの帽子を買ってしまう。

 

工場の門番の帽子→突貫小僧が買ってしまう兵隊さんの帽子→笠智衆の警官の帽子

と、帽子をめぐるおはなしのようでもある……

ツバ付きの帽子は権威・国家権力を象徴している、のでしょうか?

それは喜八とは真逆の存在です。

 

 

 

「犬はめしぢやねえか!」

 

以下、愛犬家の方は読まないでいただきたいですが……

 

兵隊丁「赤犬は美味いってな」

黒川上等兵「おんなじこったい、赤だって、白だって、ブチだって」

兵隊丁「これ、この間お前食った猫とどうだい?」

黒川上等兵「そりゃ、お前話にならないよ」

兵隊丁「猫の方が美味いか?」

黒川上等兵「そりゃ、犬の方が美味いさ」

(「ビルマ作戦 遥かなり父母の国」S80)

 

坂本「おい、長県にゃ随分とチャン・チュウあったよなァ。犬おっ殺してお前、スキヤキでよく呑んだじゃねえか」

平山「うん、うまかったよなァ。おれ、帰ってから、あんなうめえもの未だに食ったことねえよ」

(「早春」S86)

 

と戦中、戦後書かれたシナリオでは

本当に犬を食べるというシチュエーションが描かれるわけです。

 

 

 

と、ここで岡田嘉子たち 母子が通りかかる。

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

なわけです。

 

喜八はいなくなった「妻」を

子供達はいなくなった「母」をおもう――

 

↓この塔のショットは、

 

「隣の八重ちゃん」との比較で分析しました。

 

S21 木賃宿

おたかと君子が力なく入って来る。

そして、一方へ坐る。

喜八、一寸の間見ていたが、何の興味もなく、考え込んでしまう。

 

どうも 男性の空間と女性の空間がそれとなく分かれているようですね。

この木賃宿。

 

えんえん無人の工業地帯なので

いいかげん飽きてきます。

 

ここもまあ 「犬はめし」というのにつづいて

強烈なシークエンスでしょうかね?

エア宴会?

 

S22 例の原っぱ

 

これは「勧進帳」のパロディなんでしょうけど。

当時の批評を読んでみても 誰も何もいわないところをみると、

当時の客にとっては当たり前すぎるほどに当たり前だったのでしょうか??

 

ふとみると――

 

例の母子がいて、

岡田嘉子は見てはいけない物をみてしまったかのように 目をそらします。

 

「食べ物」という幻想が消えたところで

「女」という幻想があらわれる、ということなのか?

 

まあ、岡田嘉子という人は 共産主義の楽園という「幻想」を夢見て

日本を棄ててしまうわけですが。

 

ものすごい「塔」にしか目がいかない……

アグリーというのかなんというのか、

こんな送電塔はみたことがないです。

 

母子の背後も「塔」

 

線路も走っているな。

 

「同一方向」を向くショット。

そして背景には「塔」

――と、小津安二郎でしかない画面です。

 

着物姿の女性をしゃがませて

横顔を撮る。

後年、原節子とか司葉子とかにやらせるやつです。

 

「東京の宿」というタイトルですが、

主要キャラクターは「宿なし」というのですから、残酷です。

 

ここでついでに 冒頭紹介した「考える人」の引用をしますと――

安っさんの弟・信三さんの奥さん 小津ハマさんのインタビューですが……

例の森栄さんのことをこう語っています。

 

 兄にとっては、戦前戦後を通じてのおつき合いで一再ならず結婚に踏切ろうと考えた女性の存在がありました。

 北鎌倉の家をみつけて、買取りの手続一切までを撮影中で暇のなかった兄に代って引き受けて下さったのもその方でした。母も当然その方をお迎えするものと心待ちにしていたのですが、とうとう実現せずに終わりました。

 私がかねがねお噂を聞き及んでいたその方に初めてお目にかかったのは、兄の法事の席でした。さりげなく近付いて来られて、幼い娘に、「伯父様、おやさしかったのね。大人には意地悪だったけど」と微笑まれた美しい方でした。

(新潮社「考える人」2007年冬号、51ページより)

 

「大人には意地悪だったけど」

――作品のあちこちに垣間見える 残酷さ・不気味さ……

それがプライベートで発揮されることもあったのでしょう。

 

いちいち書き写したりしませんが、さきほど引用した 「小津安二郎・人と仕事」の柳井隆雄の文章も、

小津の「意地悪」な面を伝えています。

 

背中の角度が揃っているというやつ↓↓

「東京物語」ほどぴっちり揃ってはないけど。

 

このあたりもやっつけ仕事だったのか??

 

横を見ながら立ち上がる岡田嘉子。

なんだかかわいらしいですが――

 

女優さんからするとけっこうめんどうな演技ではないのかな??

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

はい。ここらへんも「出来ごころ」と同じなので、

進歩がないな~とおもってしまうわけです。

坂本武は、伏見信子なる「塔」を見上げていたわけですから。

 

 

 

すみません。正直 飽きてきました。

同じような画面ばかりで――

 

相変わらずクレーンしか見所がない↓↓

 

↓↓ここは きかんしゃトーマスみたいなかわいい汽車が走ったりします。

左端にちょっとみえますが。

 

↓↓これはなんだろう。オープンセット??

 

山中貞雄にこんな場面がありそうです。

大河内伝次郎あたりが出て来そうです。

 

雨に降られる 宿なしの三人。

しかし小津作品において

視線を上に向けたとき、なにかは起きるわけで……

 

理髪店の、この……ネジネジの棒好きね。

 

飯田蝶子登場。

背後の字は、どうみても小津安っさんの字だな。

 

カットバックですけど。

 

「浮草物語」の、あの楽屋のカットバック――複雑きわまりない精密機械みたいなものを見せられたあとだと……

ひどく単純な印象しかない……

小津がこの程度かよ……となってしまう。

 

「浮草物語」のあのシーンを撮れ、といわれたら誰だって尻込みしてしまうけど

この程度のカットバックならシロートでも撮れそうだ。

 

で、飯田蝶子に 仕事を世話してもらって、という展開。

 

椅子に腰かけたまま寝ている子供達……が、

 

洗濯物のショットをはさんで、

 

きちんと布団の上で寝ている、という……

このシークエンスは見事。

見事だが、「浮草物語」の観客はまったく満足できませんよ。あなた。

 

はい。トマスの野郎はいいかげん この作品に飽きてしまっていますし、

このあとは特に「塔」らしい「塔」もでてきませんので

一気にラストシーンをみていきたいとおもいます。

 

S72 道

何がなしに、重荷を降ろした人の足どりで、喜八が行く。

タンクの見えるしらじら明けの工場地帯の道である。

 

小津には珍しいローキーの画面。

これをやりたかったから 昼間の画面は多少露出オーバー気味だったのか?

 

それから主人公が 被写界深度の外に出ちゃってるというのも

珍しいかな↓↓

とにかく、ですね。

次回ようやくトーキーを撮ることになる小津安二郎です。