塔の作家・小津安二郎 その18 「一人息子」① 暗号は〇 | トトやんのすべて

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および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

15、「一人息子」(1936)

現存小津作品15作品目。

トーキー第一作です。

1936年。二・二六事件の年ですね。

 

前回紹介した「東京の宿」(1935)と同時進行で

六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」(1935)を撮っていて、

これはプリントが残ってますが

ただ舞台を撮影しましたというだけのことで

「小津作品」とはいえなさそうです。

 

「東京の宿」の次回作は 「大学よいとこ」(1936)

これはプリントが残ってません。

ヒロインが高杉早苗たんなので とても残念です。

ただ、評価は高くない作品です。

シナリオざざっと読んでみましたが、ドタバタしてなんだか締まりがない印象。

 

で、ようやく トーキー第一作 「一人息子」の登場。

封切りは 1936年9月15日だったそうです。

 

「大船映画」とまず出てきますが↓↓

蒲田撮影所で撮ってます。

 

この年、1936年1月15日に 松竹は撮影所を 蒲田から大船に移転させているのですが、

実力ナンバーワンの小津だけが、居残りで蒲田で撮影しているという、ヘンな感じ。

このあたりの事情。「小津安二郎・人と仕事」を引用しますと――

 

 前年春、飯田蝶子の発病で撮影中断となっていた「東京よいとこ」を、茂原式トーキーが完成したので、茂原氏との約束・会社の要求に従ってトーキー用に書き直し、第一回トーキー作品とした。

 大船は土橋式トーキー・システムなので、蒲田撮影所で製作した。

 カマタ最後の松竹作品となる。

 防音設備など不完全なので昼間は撮れず、毎夜5カットぐらいずつ撮って行ったが、楽しかったと言う。

 骨の髄からのサイレント的なものが抜けなくて、こりゃァ立ち遅れたかナと、内心まごつきもしたと言う。

(蛮友社、「小津安二郎・人と仕事」496ページより)

 

そうか。蒲田撮影所最後の松竹作品を撮ったのは小津安二郎だったか……

 

∞……無限大みたいなマーク↓↓は、

日本映画監督協会のマーク。デザインは小津安っさん。

映画は第8芸術とかいわれているらしく、

その「8」をひっくり返したものらしい。

 

↑そういわれると、上の茂原式システムのマークも

なんとなく小津っぽいですよね?(詳細不明)

 

キャメラが 「茂原英朗」でも「厚田雄春」でもないのは ちょっと戸惑う↓↓

杉本正次郎――

このあたりの事情、厚田さんの証言。

 

『一人息子』は茂原さんが録音にまわりますから撮影には杉本正次郎さんって人がつきました。気心の知れた茂原さんと違って、俺は俺で撮りたいように撮るというタイプのキャメラマンで、うわべはまあうまく行ってましたが、助手としてみると、どうもしっくり行ってませんでした。茂原さんにしても、ぼくにしても、小津さんの気持をくんで望んでおられる構図に持ってくようにしてたんですが、まあ、初めての人じゃ、それも無理だったんでしょう。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」91ページより)

 

というのですが、

厚田雄春の証言だということは考慮すべきところでしょう。

厚田さん、あるいは自分で撮りたかったのかも??

 

ただ……ただ……どこをどう、と説明できないのだが、

なんとなく「一人息子」の画面の調子が 他の小津作品とちょっと違っているところもあるようにも感じる。

 

「野々宮」なる苗字が気になります↓↓

「一人息子」以降、〇〇宮という苗字の登場人物が妙に多くなる気がするので……

 

わかりやすいところだと

「晩春」の原節ちゃんは 「曾宮紀子」

「麦秋」の原節ちゃんは 「間宮紀子」

という具合。(当然笠智衆も「曾宮」だったり「間宮」だったりする)

 

あとは……

「淑女は何を忘れたか」→斎藤達雄、栗島すみ子夫妻の苗字が「小宮」

「戸田家の兄妹」→近衛敏明、坪内美子夫妻の苗字が「雨宮」

「風の中の牝鶏」→佐野周二、田中絹代夫妻の苗字が「雨宮」

「お茶漬けの味」→淡島千景の役名が「雨宮アヤ」

 

不思議なことに「東京物語」以降は〇〇宮が出てこなくなる気がするが、

たんにわたくしが気づかないだけかもしれない。

 

で、いよいよ……

S1 「信州」の山村風景

山村の家並み。ぼんぼん時計が九つ、遠くで鳴っている。

 

今までサイレント作品ばかり見ていたので

「小津作品に音が……音が……」

と感動してしまったのですが

(↑↑お前は明治生まれか‼)

 

「一人息子」の試写の晩、頬に疲労をかくし切れない小津安二郎を囲んで徹夜で語り明した。見てゐるうちから、いやファースト・シーン、ボンボン時計が時を違へて鈍く鳴り、しづかな往来を通る行商の女たちの姿を見たときから、ぼくの眼がしらは熱くなつてゐたのだ。

(岩波現代文庫、田中眞澄著「小津安二郎周游(上)」186~187ページより)

 

これは田中眞澄が紹介する 岸松雄の文章なんですけど……

孫引きってやつですけど。

同時代の小津ファンもまた、思いは同じだったか! などと思ったりしました。

 

――あと、ボンボン時計。といいますと、

「東京の女」の岡田嘉子が時計を見上げるショットから、

「塔」の代替物として「時計」を使う、ということをやりはじめるわけですが、

 

「一人息子」の一番最初のカットというのは、

観客がランプ(←これも小津作品ではおなじみのモチーフ)を見上げつつ、

「不在の時計」……つまり不在の「塔」を見上げる。

というとんでもないショットから始まるわけです。

 

これはすごい。

とうとう、塔の作家・小津安二郎は、

「不在の塔」 「塔」=「0」というところまでやり切ってしまったわけです。

岸松雄でも トマス・ピンコでもなく

小津ファンであれば、ここは泣いていただきたいところです(笑)

 

大興奮のわれわれが見せられるのはしかし――……

風情はあるけど、なんだかいびつなショット。

なんとなくバランスが悪い気がする。

 

「ランプ」+「車輪」って、おなじみのモチーフなのだが、

ちょっと盛り込み過ぎのような……

 

とか思って見ていると……

「‼」

行商の女の人が通ると、とたんに画面が引き締まるんですよね……↓↓

 

なんか、冒頭から気合入りまくり。

あのダラダラした「東京の宿」が嘘のようです。

 

あ。傘というのもお気に入りのモチーフだわな。

 

S3 古めかしい製糸場

繭の鍋が煮えて――。

糸車がカタカタと廻っている。

働くおつね、その他数名の女工達の姿が見える。

 

クロサワ映画の登場人物は絶えず働いてるのだが、

小津作品の登場人物はたいてい何もしてない。

ドナルド・リチー先生だったかがそんな指摘をしてましたが(たしか)

 

飯田蝶子が珍しく働いてます。

 

先にいっておきますと どうもこの作品の暗号は

「〇」

のようにおもえます。

正確にいうと、「回転運動」なのかな?

 

戦後の「麦秋」も「〇」を中心に画面が組み立てられていたのですが、

「麦秋」の「〇」が 「円満」とか「輪廻」とかどちらかというとポジティブなイメージなのに対して、

「一人息子」の「〇」は 一生終らない労働、というようなネガティブなイメージを感じます。

 

冒頭から 車輪→製糸工場の機械 と「〇」イメージを観客に植え付けています。

 

S4 木のある風景

製糸場の煙突越しに、雪を頂いた連山が望まれる。

 

……というのですが、シナリオとプリントはちょっと違うな↓↓

ただ、すんなりと立ったポプラは いかにも「小津好み」ですねー

 

ポプラの木、国旗→「塔」

日の丸→「〇」

と、「塔」とこの作品の「暗号」を仕込んでいます。

 

筑摩書房「小津安二郎物語」 245ページに 「一人息子」撮影スタッフ一同の写真が載ってますが、

その写真にも同じようなポプラの木が背景に写ってます。

信州上田で、と説明がありますので このショットも上田で撮られたのでしょうか??

 

山に詳しい方なら↓↓ すぐわかるかな?

 

S7 良助の家

大久保先生が来る。

おつね「まあ、よくきなしたね、まあまあどうぞおしきなして――」

と、先生を招じる。

先生「いやいやどうぞおかまいなく――」

と、上り框に腰を下ろす。

おつね、座蒲団をすすめて、

おつね「いつも、良助がご厄介様になりやして――」

先生「いやどういたしまして――」

 

というくだり。笠智衆の大久保先生が登場します。

おもわずハッとしてしまったのですが、

笠智衆。声がすごく通るんですね。

戦前映画のDVD 現代の技術でリマスターしてるんでしょうが、

音は悪い。ノイズだらけ。

その中で 笠智衆の声、なにいってるかよくわかるんです。

「いや~」

という、あの のんびりと人の良い調子は 「東京物語」の笠智衆とまったく同じ。

 

おもったのは、ですね。

以前、山本夏彦先生が笠智衆の発音、イントネーションをくそみそにけなしていた文章を読んだんですけど。

つまり……古い東京人にとって

笠智衆のコトバというのはほんとうに耐えがたいほどひどいようなのです。

でも、やはり明治生まれの東京人・小津安二郎は

小津作品のアイコンとして笠智衆を使い続けた。

なぜか?

 

それは、笠智衆の声がよく通ったから――なのではないか?

どんなオンボロの映画館で上映したとしても 笠智衆のセリフは誰にでも聞き取れたのではあるまいか?

じっさい、トーキー第一作の「大久保先生」役で 笠智衆は評価を上げて、

トーキー四作目の「父ありき」(1942)で とうとう主役にのぼりつめるわけです。

 

まあ、以上、あくまで推測でしかないんですけど。

それに「声」以外にもいろいろ理由はあったでしょうしね。

長身でスッとした、ポプラの木みたいなプロポーションとかね。

 

先生「今日学校で聞いたらお宅でも中学校へやらして下さるそうで――僕も非常に嬉しいと思いましてね」

おつね「え?」と、良助を見る。

良助、モジモジして座を外す。

 

ここはカットバックするときの視線に注目したいところ。

 

飯田蝶子見上げる。

葉山正雄君(良助)見下ろす。

この視線の高さは覚えておいていただきたい。

 

S11 階上

良助、ふて腐れて動かない。

おつねの声「良助!」

良助、已むなくオズオズしながら階段を下りる。

 

「階段」――これまた 「母を恋はずや」「浮草物語」以降、お気に入りのモチーフ。

 

おつねの前にやってくる。

おつね、いきなりピシャリと良助の横面をなぐる。

 

……と、戦前小津ではあたりまえの暴力シーン。

 

おつね「何だって嘘いうだ? 何だって嘘つくだ?」

良助、唾をのむ。

おつね、つづけて、

おつね「中学校なんか行ける身かい⁉ 馬鹿!」

良助、唇をかんで、ジッと恨めしそうにおつねを見ている。

 

というシナリオ上はもりあがるところなんですけど――

ふたたび

カットバック時の視線の高さという重要問題に注目していただきたい。

 

葉山正雄君(良助)見上げる。

飯田蝶子、見下ろす。

さっきと逆です。

 

あと、良助の背後に「階段」

おつねの背後に「車輪(のようなもの?)」

というモチーフをいれていることも注目したいところ。

 

飯田蝶子が労働をして 息子に出世の「階段」を上らせようとする、

というこれからの展開をそれとなく暗示しているのでしょう。

 

S12 製糸場

 

おつね達の会話で 大久保先生(笠智衆)が信州を去って東京へ行くことを観客は知らされます。

また「〇」 終わらない回転運動のイメージ。

 

んで、シナリオ上は 大久保先生と生徒たちの別れのシーン(S13)があるのですが、

現存プリントでは存在しません。

小津お得意の「汽車」が登場するようなのでぜひ見たいところなんですが……

 

このシーンだけでなく、シナリオ上あるべきシーン、カットが多々失われているようで……

 

 この映画の現存プリントは、一九三六年のオリジナルそのままではない。敗戦直後の新作不足の時期に番組の穴埋めで再公開されたときにカットされたものである。占領軍の軍国主義・封建思想一掃の方針に抵触しそうな個所を、制作会社の松竹がネガごと切ってしまったものらしい。そのとき小津はシンガポールの抑留所にいたから、彼の意志とはかかわりがない。その後の小津のトーキー作品三本にも同様な措置がとられた。

(同書190ページより)

 

また田中眞澄「小津安二郎周游」からの引用ですが……

日本人の一番悪い部分を見せられますねぇ……

ネガごと処分しちゃったというのは立派な破壊行為。

「空気」とか「お上の意向」とかを勝手にくみ取って 暴力行為を働く、という……

んでも、武漢肺炎の今も似たようなことが……

 

なので……

S14 良助の家(夜)

神棚から吊された柿の実に突き刺してある日の丸の旗。大久保先生バンザイと、書いてある。

 

ここはちと唐突な印象。

失われたS13において 生徒たち一同、この旗をもって大久保先生を見送ったようです。

自己検閲する必要性を感じませんが……

兵隊さんの出征を思い出させたから?? でしょうか??

 

あ↓↓

日の丸が「〇」

そして 柿の実だかひょうたん(??)だかが「〇」です。

ひょうたんというと、「東京物語」冒頭 尾道の家でもひょうたんがぶらさがっていたりします。

 

ランプはしつこいくらい登場しますね。

小津自身がランプのコレクターだったというのは有名な話。

たぶん私物じゃないのかな??

 

柱に足をのせて寝転ぶ。

「浮草物語」にもこんな1カットがありました。あれは楽屋のシーン。

 

またランプです。

 

まえにちょっと書きました、

この作品のカメラワークに対する違和感ですが……

たぶん右端の前ボケしちゃってる物体とかなのだろうとおもいます↓↓

 

「小津安二郎・人と仕事」収録の座談会において

厚田雄春が「ミドポジ」なるものを説明しているのだが――

(ミドポジ――碧川道夫が発明したとかなんとか読んだ記憶がある……)

 

厚田=小道具の置き方がありますね。例えば何かミドポジに持ってきますね。

佐藤忠男=ミドポジというのは?

厚田=画面の隅のことです。そこへ何か置いて、ちょっとナメるんですね、ビール瓶だとか。それで構図をまとめるんです。

 ところが、そのビール瓶が近い時はレンズの関係ででっかく写ります。それではぼくの方も困るので、ぼくは小瓶を持って来るんです。初めのうちは気に入らなかったようですが、そのうちに「これはいい」ということになって、ミドポジにはミドポジ用の小道具を用意しとくようになった訳です。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」316ページより)

 

厚田雄春のビール瓶、あるいは宮川一夫のラムネ瓶(「浮草」)のように

構図に貢献していないんですよね↓↓

このミドポジ物体は。

 

小津作品特有の無気味なほど端正な構図というのは、まったく感じられない。

有名な「赤いヤカン」のように ショット間の整合性よりも

一ショット内の構図を重視するのが小津安二郎なわけですから……

 

このショットはかなりの違和感を感じます。

厚田雄春はこのあたり内心忸怩たるものがあったのかもしれない。

 

もとい、

 

おつねは、両足を柱にもたせかけて寝転んでいる良助に、しみじみと声をかける。

おつね「お前やっぱし中学校へ行くだよ」

 

しつこいようですが、またカットバックの視線の高さをみていきたい。

これで 葉山正雄君(良助)と飯田蝶子のカットバックは3回目です。

 

良助を坐らせる。

 

これはつまり 視線の高さを「水平」にするため。

 

物語の根幹にかかわる重要なシーンですので、

3パターンのカットバックを駆使して

丁寧に組み上げています。

 

「視線の高さ」を整理しますと、

1、葉山正雄君(良助)→見下ろす 飯田蝶子→見上げる

2、葉山正雄君(良助)→見上げる 飯田蝶子→見下ろす

3、視線の高さ→水平

という具合です。

 

おつね「わんだれも中学へ行くだ――その上の学校だって行くだ。(涙ぐんで)そんでウンと勉強するだ。な、そんで偉くなるだ――わんだれさえ偉くなったら、死んだとうやんだって、きっと喜んでくれるだし、わんだれの勉強のためだったら、かあやんはどねえになったって構やしねえだ――なあ、家のこんなんか考えんでウンとウンと勉強するだ。なあ、中学校へ行くだ」

 

そしてこの 視線の高さ「水平」のカットバックが

例の視線の噛み合わないカットバック――

定石無視の技法で撮られているという……

(「非常線の女」の 岡譲二×水久保澄子の会話シーンがわかりやすい例)

 

この噛み合わない視線に関しては

「小津安二郎戦後語録集成」37ページから 「映画の文法」という1947年の発言に詳しいです。

以下、全文引用すると長いので 細切れになりますが――

 

 映画の演出の常識としてこういうことが言われている。それは仮りに今ここに二人の男女が相対して会話をしている場面を撮影する場合、交互に二人をうつす時男と女との視線をつなぐ線をカメラがまたいではいけないといわれている。

(中略)

 所が私は、これを、最初に左を見ている男をみせ、次に又、左をみている女を見せるという撮り方もするのだが、みている観客も(勿論私も含んで)充分二人の人物が相対しているのだということが自然にうなずけるのである。

(中略)

 唯ここで間違っては困るのは、映画の文法は飽くまで常識であって、それを踏襲する方が無難であるので、常識を好んで破る必要もない。私がこのような違法を敢えてやってみた最初の出発は、日本間に於ける人物と背景との関連に於て、その場の感情と雰囲気を自由に表現するためには、この常識に従っているとどうにもあがきがとれなかったことから始まったのであった。

(フィルムアート社、田中眞澄編「小津安二郎戦後語録集成」37~38ページより)

 

――のだそうですが、このあたりは好みがわかれるところでしょう。

アンチ小津は、「気持ち悪い」というでしょうし、

小津ファンは、「この隠し味がたまらない」というところです。

 

そしてこの感動的な 視線の高さ「水平」カットバックで終らせないのが小津でしょう。

 

涙涙で終らせるのが、まあ普通でしょうが……

 

母子二人を引き離して このシーンを終わらせるのですな↓↓

 

この冷たく突き放した視線。

まあさっきの視線の噛み合わないカットバックも「冷たい」わけです。

お涙ちょうだいで撮ることも可能なわけです――

というかそうやって撮るのが普通なんですけど、

小津はあくまで冷酷に淡々と突き進むわけです。

 

二人抱き合って涙、などというカットはありえないわけです。

 

「一九三五年 信州――」

というタイトルが出まして……

 

S15 機械化された新工場

製糸機械が整然と廻っている。

働く女工達。

 

「〇」です。

 

つぎ。「一九三六年 東京――」とタイトルがでまして

 

S17 上野駅

列車が轟然と辷りこんでくる。

 

上野駅ですか。なんだかかっこいいな。

「世界の車窓から」とかみていると ヨーロッパの駅はかっこいいななどとおもいますが。

昔の日本の駅はこんなだったか。

 

C51蒸気機関車が「〇」

 

戦前の日本にあこがれている人間にとって、

この駅→東京のビル街のシークエンスはたまらんものがあります。

 

S18 流れる風景(フェンダァ越し)

タクシーの窓外を東京の風景が流れる。

 

ヘッドライトの「〇」

ビルは「塔」ですね。

 

S19 タクシーの車内

上京したおつねと肩を並べて良助が乗っている。

良助「隅田川、隅田川――永代橋ですよ、向うに見えるのが清洲橋――」

おつね「そうだか、でっかい橋だなあ」

 

S21 車内

良助、懐し気にしみじみとした情愛で、

良助「本当によく出掛けて来ましたね」

 

良助役は日守新一。

もともとは大日方伝が予定されていたようなのですが、

大日方は 1935年3月21日松竹を脱退しています。

同じ日に三井秀男も脱退。

小津安っさん、お気に入りの俳優が立て続けに松竹からいなくなっています。

 

日守新一は 現存最古小津作品の「若き日」に 松井潤子のお見合い相手として登場しましたけど……

あと何か出てきたっけ?

清水宏作品にはよく出て来る印象があります。

 

笠智衆によるとすごく人柄がいい人らしい。

でも小津作品には あまり出てこない人だな。

これ一作だけという印象。

 

S22 砂町あたりの空地(原っぱ)

 

田舎の親が上京して来る→子供の家は東京の端っこ。

というパターンは、のちの「東京物語」の展開と一緒。

笠智衆と東山千栄子の会話……

「ここあ東京のどの辺りでしゃあ」

「端の方よ……」(S35)

を思い出させます。

 

といいますか、

「一人息子」……「東京物語」のルーツといってもいいでしょう。

セリフやシチュエーション、ところどころ「東京物語」を感じさせます。

親が子供にがっかりする、という展開がそもそも同じ。

 

建築好きには このアグリーな建物が気になる所でしょう↓↓

水道か? 河川関係の建物でしょうか??

ロシア構成主義みたいな匂いも感じるのだが……

メカニカルな印象の建築……

 

良助「ねえおッ母さん、驚いちゃいけませんよ」

おつね、不審そうに足を止める。

おつね「何が――? 何がさ――?」

良助「いやー、実は女房貰っちゃったんですよ。(軽く笑い紛らわして)とにかく家へ行きましょう」

と、歩き出す。

おつね、接ぎ穂なく不安な感じでつづく。

 

ど真ん中に煙突(塔)を持ってきます、小津安二郎。

電柱だらけの冴えない住宅地。

「東京の合唱」「生れてはみたけれど」等々の作品の舞台です。

 

んだが、その女房が坪内美子なんだから いいじゃないか(笑)

うらやましいぞ、この、この。

 

トーキーなので この人の穏やかな……なんともいえん声が聞けますよ、あなた。

 

S25 居間

おつね「おはじめて――倅が色々とご厄介様になりやして――」

と、杉子の顔を見ながらお辞儀をする。

杉子「よくいらっしゃいました」

 

注目点は↓↓

おなじみの小道具 ボンボン時計 傘 火鉢といったところか。

 

この作品ではなにかと左隅の ジョーン・クロフォードのポスターが登場します↓↓

ジョーン・クロフォードというと、「母を恋はずや」のチャブ屋のシーンでも

「雨」のポスターが登場しました。

 

のちのことになりますが……小津組の常連となる 三宅邦子。

彼女のぱっちりした目がジョーン・クロフォードに似ているというので

「クロちゃん」なるあだ名で呼ばれるようになったそうです。

 

S26 赤ン坊が寝かせてある(次の間)

おつね、意外そうに見つめる。

良助「去年の春、生まれちゃったんですよ――色々考えたんだけど、お父っつぁんの名を一字貰って義一とつけたんですよ」

おつね、無言で赤ン坊をみつめる。何の表情もない。

 

というところ。背後の Germany に目が行ってしまいますね。

「母を恋はずや」 大日方伝の家にあったポスターがやはり ドイツの祝祭劇だかなんだかのポスターでした。

ただ……

小津自身にドイツへのあこがれとかがあったとは、どうも??

ファッションは英国流だったし、ハリウッド映画のファンだったし……

 

S27 居間

杉子「晩の支度どうする?」

良助「お前、金あるか」

杉子「少うし――」

 

これまた「東京物語」を思い出させるところ。

山村聰と杉村春子の会話(S25)

志げ「晩のご馳走、お肉でいいわね。スキヤキ」

幸一「ああ、いいだろう」

 

もちろん、「東京物語」の子供たちが冷たいのに対して

「一人息子」の日守新一&坪内美子は、精一杯の親孝行をしようとします。

 

障子・襖で「ワク」を作ります。

あとミドポジのビンでましたね↓↓

でも瓶、デカすぎない??

このあたりが「一人息子」のカメラワークへの違和感の正体なんでしょう。

助手の厚田さんが

「おいおい、小瓶を置けよ、このシロートが!」

とか内心思いながら仕事をしている様子を 勝手に想像するとおもしろいです。

 

S31 台所

杉子、帰って来る。

良助、見迎える。

杉子「頼んで来たわ」

良助「足りたか?」

杉子「ええ」

 

ジョーン・クロフォードがとにかく目立ってます↑↑

あと、木製の踏台↑↑ これも小津作品によく出て来ますな。

 

「晩春」 電気会社の人が

「踏台貸して下さい」というところがあります(S9)

 

お札も多いな……ウサギみたいなおもちゃも気になるところ。

 

今回はこれで終わり。

分析、長くなりそうです。