俺は、TBSの「ザ・チャレンジャー」というドキュメ
ンタリー番組を組まれた。ゴッチさんの元で修業し、現
地で試合をするという企画である。
若手レスラーを貸してほしいという依頼が番組制作会社
から旧UWFにあり、神さん(神二・当時社長)がゴッ
チさんにかわいがってもらっていた俺を推薦してくれた
ようだ。
このフロリダでの撮影は短期間ではあるが、俺にとって
は海外武者修行のようなものだ。しかも、ゴッチさんの
指導をマンツーマンで受けられる。またとない機会を得
て、俺は希望を胸にアメリカへと旅立った。
このときのテレビ収録は10月下旬の1週間、11月上
旬の1週間の2度にわたって行われている。本来は10
月下旬にフロリダに入り、1週間で全てを撮り終える予
定だった。
内容は日本の若者がゴッチさんの元に出向き、修行を積
んだのちに現地でプロテストの試合に挑むというもの。
だが、フロリダ入りした制作スタッフがこの企画の趣旨
をゴッチさんに説明すると、予想外の展開となった。
ゴッチさんが「そんな企画はダメた。そもそもプロテス
トなんてやってない」と首を縦に振らなかったのである。
「プロ」のレスリングなのに、「プロテスト」がない。
ボクシングと違って、アメリカではだれでもリングに登
ることができる。試合をして、プロモーターに気に入っ
てもらえたら、メインイベンターも夢ではない。
そこでディレクターが知恵を絞り、ゴッチさんが呼んで
くれたジョー・マレンコを相手にプロテスト風の軽いス
パーリングをやってはみたものの、これだけでは取れ高
が足りないという。
結局、俺たちは一旦帰国した後、プロテストのシーンを
撮るためだけに再渡米した。この2度目の収録はゴッチ
さんには内緒で敢行され、試合をする会場や相手のレス
ラーは空中さんに手配してもらった。
会場は小さな体育館。プロテストの舞台はフロリダのロ
ーカル団体の興行で、相手はバーモン・ヘンダーソンと
いう身長185センチ、体重108キロの巨漢レスラー
だった。リングサイドには素性のよくわからない審査員
が3人いて、負けなければ合格だという。
試合中、俺が小柄なグリーンボーイということもあって
か、相手の外国人レスラーがグラウンドになった時に仕
掛けてきた。俺は動いている最中に膝を少し痛めたもの
の、逆に足首を2回ほど極めてやったら、相手は大人し
くなった。
リングでは、いつ何が起こるか分からない。このときは
道場で培ってきたものが役に立った。結局は引き分けに
終わったが、藤原さんたちとの練習で学んでいた技術が
プロレスをやっていく上でいかに大切か、この試合で改
めて身をもって理解できたような気がする。
プロテストに合格した俺はゴッチさんのところに挨拶に
行き、お礼を述べて帰国の途に就く…。
このシーンは1回目のロケの際に収録済みだ。あとは編
集でつなげれば、番組は完成。
今なら問題になったかもしれないが、そういうことが許
された時代だった。