ジャイアント馬場との記憶を思い起こすときに、まず最初に頭に
うかぶのは、馬場本人のことよりも、以前から馬場と深い関係が
あったブルーノ・サンマルチノの言葉だ。
うかぶのは、馬場本人のことよりも、以前から馬場と深い関係が
あったブルーノ・サンマルチノの言葉だ。
彼はよくこう言っていたものだ。
「ミスター馬場が何かを約束してくれたら、それは100%の保
証付きだ。
君は100%信用していい。なぜなら彼は、間違いなく信用でき
る男だからだ」
ブルーノの言葉は1975年、ファンクスのブッキングで全日へ
初来日が決まった頃の私に向けられたものだったが、当時の私は
まだグリーンボーイ扱いだったので、団体のトップである馬場と
は対戦させてもらえるクラスではなく、タッグマッチがわずかに
あっただけだった
その翌年、ニューヨークを拠点とする団体、WWWF(当時)に
参戦し、私は試合中のアクシデントで、ブルーノの首に重傷を負
わせてしまった。
だが、ブルーノは人格者だ。
自身のレスラー生命を脅かすような怪我を負わせた私に対しても
極めて真摯に、先輩レスラーとして私が今後進むべき道を、その
折ごとにアドバイスしてくれたのだ。
私が新日に移籍を決めたときにも、ブルーノは、
「猪木のことはわからないが、馬場が言ったことは100%信用
できる」
「もしオファーがあったら、彼の下で安心して働いていい」
と、何度も馬場について太鼓判を押してくれた。
新日を経て、再び全日のマットに復帰した時、私はブルーノのそ
の言葉に間違いがなかったことを知る。
私の馬場に対する信頼は、彼と長いことビジネスをともにしたこ
とから生まれたものだ。
私が全日に復帰した時、最初に3年契約を結んだ。
だが、3年後からは引退までずっと、契約書などの書面を求める
必要はなく、馬場との握手だけで25年間、私は全日のリングに
上がり続けた。
その間、ギャラに関してのトラブルなどは一切ない。
お互いに信頼関係があったから、握手ひとつで、すべてが成り立
っていたのである。
仕事の話は、馬場との長い関係の中で十数回ほどしかしたことが
ない。
彼は何でもストレートに言ってくれるほうで、「イエス」と「ノ
ー」が、はっきりしていた。
長く働いていると自分の扱われ方について気になる部分も出てく
るものだが、馬場から「Dont worry」(心配するな)と言われれ
ばすべてが解決した。
馬場の言葉を聞くと、素直に「じゃあ、安心していいんだな」と
リング上でも前向きになれたものだ。
馬場と一緒にやれたことは、本当に良かった、幸せなことだった。
ハンセンは全日に再移籍する折に、馬場と、下記のような取り決
めをしている。
ハンセン:「全日はアメリカンスタイルだが、自分には自分なり
に作り上げたスタイルがある。
この自分流のファイトスタイルを全日に行っても変えたくないが、
それは認めてくれるのですか?」
馬場:「いや、君のスタイルが気に入ったからこそ、全日に参戦
してもらいたいのだ。
全日は君のスタイルを求めている。
そのスタイルを変えないで、逆に君のスタイルによって全日を変
えてくれ」
その一言が私の心に響いた。
自分が築き上げてきたスタイルが、ブルーノ・サンマルチノが信
頼し絶賛する、あのジャイアント馬場に認められ、しかも、私の
ことを求めていると言われたのだ。
さらに、「ギャランティに関しては、悪いようにはしない」とも
追認された。
誠意をもって接してくれたことに私はいたく感激し、交渉のその
場で移籍する意向を伝えたのだった。
馬場とのビジネスのリレーションシップは短期間で終わらせずに
末永い関係として持ち続けたい。
そう思っていた私は、「安心して、これからもプロレスが出来る
んだ」ととても豊かな気持ちになれたものだ。