▶「ヤマトの真実」豊田有恒レビュー3・松本零士も微報酬だった | ぐーすけとりきのブログ

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“おおよその”原作者である松本零士については、ぼくも、それ
相応の報酬を得ているものと、考えていた。さすがの西崎も、い
くらなんでも、実質的な原作者である松本には、それ相応の報酬
を支払ったものに違いないと、かねがね想像していた。ただ、い
くら儲かった式の話は、しないのが業界の礼儀だから、聞く気も
なかったのだが、あるとき、たまたま、西崎が大ヒットした収入
をクリエイターに還元しないという話題になり、松本が、自分か
ら報酬について話しはじめた。ぼくは、それを聞いて愕然とした。
せいぜい、ぼくが得た酷い報酬の数倍くらいしか、支払われてい
ないらしいのだ。あの松本零士に対しても、他のクリエイターに
したように、雀の涙のような対価しか支払っていないというのだ。

“おおよその”原作者である松本零士さえ、見合った収入を得て
いないという。これは、驚くべきことだった。西崎は、『宇宙戦
艦ヤマト』が生み出した200億とも300億ともいわれる巨額
の収入を。女に、ヨットに、バイクに、車に、すっかり蕩尽して
しまったことになる。ヤマトの大ヒットで、金銭感覚が麻痺して
しまったせいもあるだろうが、もともと派手好みの西崎の性格が
災いした面もあったろう。

こういう話もある。

松本の自宅で、ヤマトの打ち合わせをすることになった。西崎が
予定より遅れて、運転手付きのリンカーン・コンチネンタルで颯
爽とやってきた。やや遅れて登場するのも、西崎の常套手段であ
る。打ち合わせが終わり、外へ出てみると、大型バイクが松本邸
の庭に止まっていて、若い男がヘルメットと脱いだところだった。
バイクは、ホンダCB1200ボルドール。当時、日本国内では
750以上の排気量のバイクは売られていなかった。このスーパ
ーバイクは、ホンダのフラグシップともいうべき輸出専用の車種
で逆輸入で270万円もしたものだった。

「豊田くん、わざわざ、ありがとう。俺はバイクで帰るから、リ
ンカーンで送らせるよ」

西崎は、こう言い放つなり、カッコよく、バイクにまたがった。
この日、西崎はバイクで、ぼくはリンカーンで、松本邸を後にし
た。この話には続きがある。ぼくを乗せたリンカーンが走り出し
てから、ものの十分も経たないうちに、一天俄かにかき曇ったか
と思うと、いきなり土砂降りの雨になった。ゲリラ豪雨である。
下北沢の我が家についた時はもう晴れていたが、次に西崎と会っ
たとき、さんざんぼやかれた。

「いやー、酷い目に遭った。きみにリンカーンを譲ったはいいが
出し抜けに豪雨になった。皮つなぎは、濡れると縮むんだよな。
苦しくて、本当に死ぬかと思った」

さすがに、ざまーみろ、とまでは思わなかったものの、いささか
留飲を下げる思いだった。

このころ、多くのクリエイターが、西崎と袂を分かっている。あ
の富野由悠季がヤマト1に噛んでいたことはあまり知られていな
いが、すぐに手を引いたという。どういう事情か知らないが、報
酬のせいもあったに違いない。のちに『機動戦士ガンダム』が大
ヒットした際、富野は、ヤマトを超えるものを志したというよう
な談話を残している。負の記憶にもしろ、富野に与えたヤマトの
インパクトが大きかったことは否めない。