UFC開催で幕を上げた総合格闘技の新時代。
そのルーツはブラジルで「バーリ・トゥード」と呼ばれた何でもアリ
の闘いだった。
UFCを立ち上げた中心メンバーに、ホリオン・グレイシーがいる。
UFCの初期、平はホリオンに会うため、ホリオンがアメリカで主宰
するアカデミーに訪ねたことがある。
しかし、ある程度、基本的な練習をしたあと、ホリオンはこう言った。
「君に教えることができるのはここまでだ。いいか、わかるだろう」
「君はプロの格闘家だ。闘う可能性がある相手には教えられないん
だ」
これ以上お願いするのは申し訳ないな、と思った平は、アカデミー
を後にした。
当時、ある雑誌のインタビューでホリオンは語っていた。
「グレイシー柔術を世界に広める」
これが、ホリオンの第一の目的。
17年現在、すでにそれは達成されている。
近年これだけ急速に世界中に広まった格闘技はグレイシー柔術しか
ない。
そして、こんなことも言っていた。
「グレイシー柔術が知られ、相手が同じ技術を使えるようになれば、
我々も勝てなくなる。やがてそんな日が来る。
だが、その日にはグレイシー柔術は世界中に広まっている。
だから、真の勝者はグレイシー柔術である」
確かにホリオンの言った通りになっている。
現在、グレイシー一族はレジェンドとして尊敬の対象だが、総合
格闘技では特別な強豪とは思われていない。
しかし、総合格闘技のテクニックにはグレイシー柔術の基本が
きちんと残っている。
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95年2月、石井館長から突然、国際電話がかかってきた。
「今グレイシーの道場にいるんだ。平君に教えてもいいと言って
いる。ホイスに勝たせるって言ってるぞ」
それから5日後、平のサンフランシスコでのグレイシー柔術修行が
始まった。
教わる相手はカーリー・グレイシー。
ホリオンやホイスとは、同じグレイシー柔術でも反目し合っている
人物だ。
カーリーはこう言った。
「ここにいて練習が出来る時間は限られている。無駄な時間は必要
ない。すべての時間を強くなるため、グレイシー柔術を覚える時
間にする」
平は3週間しかサンフランシスコにいられなかった。
★
道着に着替えると、いきなりスパーリングが始まった。
スパーリングで相手がいきなり下になった。いわゆるガードポジシ
ョンだ。この時代はガードポジションという言葉すら知られていな
かった。
これがグレイシー柔術が初期のUFCで圧勝できた鍵でもある。
ガードポジションについて、少し書いておきたい。
それまでの総合格闘技「第1章」では、グラウンドでは上になった
者が圧倒的に有利と考えられていた。
だが、グレイシー柔術はその常識を覆した。
上から攻める相手を、下から見たこともない動きをして防ぐ。
上の選手は下の選手の両足を越えること、つまりパスガードがどう
してもできない。
そのうちに下から攻めてくる。
上のほうが有利なはずなのに、下からの攻めは強力で、返されない
ようにするのが精一杯だった。
ガードポジションが上達すれば手足を同時に使うことができる。
背中を「第2の足」にして、手足を使ってくるため、上に乗る選手
は対応に苦慮する。
グレイシー柔術はこの下からの攻めに特色がある。
下になり、タイミングを見て相手をうまく引っくり返す。
このテクニックはスイープと呼ばれ、今ではブラジリアン柔術の
白帯でも使う基本的な技になっている。
グレイシー柔術を知らない人間が上から出来る攻撃は限られている。
効果がない攻撃を繰り返すうちに、やがて相手は疲れ始め、バラ
ンスも悪くなる。
上の人間がなんとか邪魔になっている足を越えようと攻撃しながら
前に体重をかけている時を見計らって、下から両足を使ってスイ
ープで引っくり返す。
引っくり返せなくても、前に出ようとする相手の腕を十字で極める
ことも、頭と一緒に三角絞めで捕獲することも可能だ。
ガードポジションの技術を知っていたからこそ、ホイスは初期のUF
Cで圧勝できたのだ。
「ガードポジションで起きることをここで全部教えよう。
どんな状況からでも自分を守り、エスケープして逆転するテクニ
ックだ。
いかなる状況でも絶対に負けない、そして最後に勝つ。
これがグレイシー柔術さ」
カーリーは自信に満ち溢れた笑顔でニッコリと笑った。
あの時代、オクタゴンの闘いは時間無制限だった。
時間無制限もまた、グレイシーがどんな相手と闘っても負けない
ための巧妙に仕組まれたルールだった。
「相手に攻めさせて自分は絶対疲れない、これがグレイシーの秘密
だ。
だからダッシュみたいな練習は必要ない。
軽いジョギングみたいにいつでも体を動かして闘う、これが
グレイシー柔術さ。
力に頼ってはいけない。相手の力を奪うんだ」
たった3週間で平は変わった。
心と体の総入れ替えをしたみたいだった。
★
95年4月20日、「VALE TUDO JAPAN OPEN
1995」が日本武道館で開催された。
当時、この大会は大きな注目を集めた。400戦無敗のヒクソン・
グレイシーが出場する。
第1試合が始まる直前、石井館長が隣に来て小声で言った。
「ここでない所に行こう。誰もいない場所で2人で見よう」
平と石井は武道館2階席の最上段部に移動した。
「あの動きは間違いで、本当はこう動くのが正しいです。
多分次にこうやって反撃をされてしまいます」
平の言うことはほとんど当たった。
決勝に進んだヒクソンと対戦したのは、中井祐樹。
それまでの激闘で満身創痍の中居を相手に、ヒクソンは1R6分
22秒、危なげなくチョークスリーパーで一本勝ちし、優勝した。
すべての試合を見終えた石井館長が言った。
「平君、試合いつやる?」
★
「いつでもいいぞ、相手も自分で決めていい。やりたい舞台を用意
してあげるから」
大切な興行の1試合を用意してくれるという。平は緊張した。
平は、夏まで鍛えて、秋に勝負のリングに立つことに決めた。
舞台は9月3日、横浜アリーナで開催される「K-1 REVEN
GEⅡ」。対戦相手はその時一番怖いと思う相手、オランダ出身の
キックボクサー、ヤン・ロムルダーにした。
「バーリ・トゥード・ジャパン94」1回戦でシュートボクシング
の川口健次選手の頭部を容赦なく蹴り飛ばし、ノックアウトした男。
数日考えて、石井館長に電話で対戦したい相手の名を告げた。
「ロムルダーか……。大丈夫か?」
「はい。館長、ルールは本当の何でもありでやらせてください。
オープンフィンガーグローブはなしの素手で、肘も頭突きもあり
で。
倒れた相手をどんな状態でも蹴ってかまわないし、膝を落として
もいい。時間も無制限でやらせてください」
館長は少しの間、黙った。
「わかった、頑張れ。応援するから」
★
95年9月3日、横浜アリーナ大会「K-1 REVENGEⅡ」
平が先に入場し、青コーナーでヤン・ロムルダーを待つ。
ロムルダーがゆっくりと入場してくる。ビジョンにもの凄く気合の
入った顔が映し出される。
それを見た瞬間、平の緊張が解けた。
あの気合充分な顔は必ずゴングと同時に仕掛けてくる。
そう心に決めたら体がすっと軽くなった、という。
ゴングが鳴る。ロムルダーはやはり飛び出して、パンチを打って
きた。
パンチに合わせて平は胴体に組み付く。
そのまま持ち上げてマットに落とし、マウントポジションにいき
ながらロムルダーの顔面に素手のパンチを入れる。
寝技と打撃をミックスすると相手の反応が遅れる。
上になると一気にマウントパンチを連打する。
ロムルダーの左目尻が切れて、血が流れ出ている。
試合後、ロムルダーは10数針縫ったという。
素手のパンチを嫌ってうつぶせになるロムルダーの首に腕を巻き
つけ、平はチョークスリーパーに入った。
タップしないので、角度を変えてさらにきつく絞める。
ロムルダーの肉体が痙攣(けいれん)し始めた。
このとき、平は妙なことを考えていたという。
「もしかしたらわざと痙攣のふりをしているんじゃないのか」
なぜか10代の頃に熱中したプロレスの映像が頭に浮かんだ。
スリーパーを派手なゼスチャーで逃れようとしたり、落ちたはず
が再び蘇生して反撃したりして、ワッと盛り上がる客席。
そんなことはさせまい、と平は絞め続ける。
突然、レフェリーが平の体を掴んで引き剥がした。
ロムルダーのセコンドからは白いタオルが投げ込まれていた。
横たわるロムルダーの体はまだ痙攣が続いている。
終了のゴングが鳴り響く。
1R49秒、平は勝った。