・「証言UWF」レビュー・安生洋二の場合 | ぐーすけとりきのブログ

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1967年、東京都生まれ。第一次UWFに入門し、
85年7月、星名治戦でデビュー。その後、新生U
WF、Uインター、キングダムの各団体に所属。

以降はフリーとして全日本プロレスやWJはおろか
k-1やPRIDEにも参戦。ハッスルのリングで
の「アン・ジョー司令長官」姿も有名。

2015年3月、引退。現在は、Uインター時代の
取締役、鈴木健が経営する焼き鳥屋「市屋苑」で修
行中。

初代タイガーマスクのファンだった友達が「新しい
プロレスがある」って連れて行ってくれたのが第一次U
WF。メインは前田vs佐山だったが、なぜかセミで
行われた高田vsマーク・ルーインに注目したという。

「観たときに、俺の進むべき道はこれしかないなと
と思った」

そして、こんな驚くべき事を安生はいってのける。

「「俺のほうが強いんじゃないかな?」と思った」

当時、柔道2段を有していた安生。高田vsルーイン
戦の観戦以降にやってたことは、住んでいた埼玉県の
H団地で不良たちにケンカを売ることだった。

「腕試しとばかりにね。ストリートファイトという
か公園です。ストリートでやるとパクられちゃうか
ら。草むらから出て行って、たむろしている不良た
ちに、『すいません、俺のケンカ、買ってくれませ
んか?』と。戦績?というより、気味悪がられて断
られることのほうが多かった」

腕に自信を付け、第一次UWFに入門。

だが、いきなりスパーリングでボコボコにされる。
相手は高田延彦だった。

ここにいて強くなろうと思った。

そして、第一次UWFは破綻。新日本と業務提携を結
ぶことになる。

この時期、安生は前田の付け人を務めている。

「付け人をしていた時の前田さんの印象は、『荷物が
多いな』と。40キロくらいあった。しかも、ほとん
ど使わないものなんですよ。バーベルとか服とか。
全然着てないじゃないか……って思いながら運んでい
ました。

あとは、他人の意見や考えを、自分の中に取り込むの
が上手いイメージ」

長州顔面蹴撃事件で新日本から解雇された前田は、8
8年5月、新生UWFを旗揚げする。高田からの誘い
に「行きません」とはいえなかった、という。

「後のUWFインターでは初来日の外国人選手を道場
に呼んで、スパーリングするのは俺の係。はっきり言
えば、その場で極めまくって弱らせちゃうんです。
一度スパーリングで悲鳴を上げさせれば、少なくとも
試合でルールを逸脱したような攻めはしてこなくなり
ますから」

新生UWFの活動期間中、安生の出世試合として各マ
スコミに絶賛されたのが、89年11月29日の東京
ドームで行われた、チャンプア・ゲッソンリット戦だ
った。ムエタイの強者と異種格闘技戦で行われたこの
試合は、セメントだったとされている。

「チャンプアの相手を決めていた時に、自分から手を
挙げました。

でも、対戦の2週間前の、冨宅とのスパーリング中に
膝をひねっちゃって。診断は靭帯損傷。だから当日は、
痛み止めの注射を打ってリングに上がったんです。

減量で見違えたと書くマスコミもあったけど、ケガをし
て動けなくて、どんどん痩せていっただけですよ。
自分としては完全な状態でやりたかった。

なのに格闘技マスコミは、よくやった、よくやったっ
て…。自分的にはそれはムカつきましたよね。あの程
度でそんなふうに言われてもね」

この試合後、安生が控え室に戻る際に、前田が「おま
えの勝ちや!」と絶賛していたのも懐かしい。

東京ドーム大会で印象に残ったのは、モーリス・スミ
スだったという。

「「アマレスの猛者」デュアン・カズラスキーもリング
に上がってたけど、当時は、アマレスラーは、足関節
とれば簡単に仕留められましたからね。今みたいに、マ
ウントから殴るという技術体系がない時代ですから、逆
にいえば、いまのアマレスラーは技術を覚えれば凄いと
おもう。上体の力の強さが半端ないですからね。

結局、UWFの技術体系やルールは、今考えるとベスト
ではないんです。もちろん、UWFがその後の様々な格
闘技へのきっかけになったことは間違いないとしても。

思い入れがあるとすれば、やはりUインターとハッスル。

それは、高田さんが上にいたから。僕自身、高田さんの
下にいるときが、一番自分の能力を発揮できるってわか
ってわかっていたんでしょうね。

UWFというと、前田さんなり佐山さんが主役みたくい
われるけど、少なくとも、若手から一番信頼され、尊敬
されていたのは、高田さんだったと思っています」

高田は神輿に担ぎやすいからトップに置いたではなく
高田を立てたのは尊敬してたから、というのは前田に
とっては耳の痛い話だろう。

Uインター以降の安生については

「1984年のUWF」「柳澤健」「Uインター」
「ぐーすけとりき」
にまとめてあるので、一読あれ。