中学卒業と同時に新日本プロレスに入団し、史上
最年少の15歳11ヶ月でデビュー(当時)。
将来を期待されながらも“強さ”を追い求めて
新生UWFに電撃移籍した船木誠勝。
そんな船木と第一次UWFとの間には意外な関係
があったという。
「UWFの旗揚げから2ヶ月後、藤原さんが多摩
川で若手たちに『新日本を辞めて前田のところに
行き、殴りと蹴りと関節技のプロレスをやる』と
言いました。さらに、藤原さんは自分と山田さん
だけに『高田も一緒に行くから、夜12時に高田
の部屋に来い』と言う。
自分は合宿所の向かいの部屋に住んでいた山田さ
んが動いたらついて行くつもりだったけど、山田
さんにその気配はなく、高田さんだけが出ていき
ました。
藤原、高田が本格参戦した第一次UWFには、引
退していた佐山も合流。格闘技色を強く打ち出し
ていく。
革新的なプロレスを展開していた第一次UWFだ
が、85年秋になると経営難に陥り事実上倒産、
新日本と業務提携を結ぶ。
前田、高田たち選手はUターンする形で参戦する
ことになる。
「UWFのスタイル自体が新日内ですごく嫌われて
いて、本体のベテラン選手たちはよく『キックが
痛い』と言ってました。レガースを着けて試合を
していた山田さんと自分は、坂口さんから『外し
てくれないか』と言われたけど、骨法の道衣のつ
もりだったので外さずにいたら、誰かに指示され
たのか隠されてしまった。(坂口さんは)単純に
蹴ったりするのが性にあわないんだと思いますよ」
海外遠征などせず、高田のように道場で強くなる
つもりでいた船木にヨーロッパ遠征の話が舞い降
りる。
ヨーロッパ遠征中は、いわば二股状態となった船
木。新日本、新生UWFの双方からアプローチが
あった。
二股状態を隠し続けることが忍びなくなってきた
船木は、『週刊プロレス』誌上で新生UWF行き
を宣言。
すると、新日本から慰留工作が始まり、帰国する
と猪木と前田のトップ会談になった。
同時期に新生UWF行きを表明していた鈴木みの
るを」交えて4人の話し合いが行われた。
「前田さんは、ずっと新日本時代の疑念をぶつけ
て『アンドレ戦はなんだったんですか!』と詰め
よってたけど鈴木なんか居眠りしていた」という。
結局、猪木が折れ、船木、鈴木は円満移籍となっ
た。
しかし新生UWFでの試合はどうかというと
「新日本との対抗戦ではギグシャクして面白かった
のに、新生UWFはみんなが同じスタイルで妙にフ
ィットして行儀よく、第一次UWFとも違うつまら
ない空気で、自分はこの中にいたくないと感じたん
です」
「前田さんには悪いけど、ほかの先輩にも試すという
気持ちでやって、山崎さん、高田さん、藤原さん、
に勝ちました(プロレスだけどね)。前田さんとの
再戦はお客さんも熱狂していて、プロレス以上の、
進化した新しいスタイルができた手応えがあった。
あれがUWFの集大成ではないでしょうか」
ぐーすけも大阪城ホールの前田vs船木戦は新生UW
Fでのベストマッチだと思う。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。ヒット&アウエィ
で掌底を前田の頭にぶち込んでいく船木。
前田は、例によってノシノシと巨体をぶつけていく。
ここ一番で、よく目にする前田のスタンスだ。
前田は顔面ボコボコにされながらも、辛くも勝利。
船木は、「10回やって10回負ける相手ではない」
と強気のコメント。
成功していたかに見えた新生UWFではフロントと
選手間に不協和音が流れ始める。
松本大会で全選手が万歳を上げ一枚岩のところを誇
示。しかし翌年の前田邸の「解散」宣言によって、
3派に分裂。
あくまでも船木の語る前田邸のやりとりはこうだ。
(「船木の語る」とは、この「解散」宣言は、人に
よって、詳細がことなるからだ)
参加メンバー:前田、高田、山崎、宮戸、安生、船木
鈴木、田村潔司、冨宅祐輔、垣原賢人(藤原、中野
長井満也は欠席)
前田:これから俺が舵を取って船出するから、バラバ
ラではだめだ。俺を信用してついてこれるか?
鈴木:信頼して前田さんについていきます。
宮戸 安生:前田さんが連れてきた人だけでは信用な
らない。脅されているみたいで納得できません。
前田:俺を信用できない人間がいるなら解散だ。
鈴木:僕はついていくって言ったのに、解散とはどう
いうことですか?
(鈴木が真っ先に部屋を飛び出す。宮戸、安生も
いなくなる)
船木:いきなり解散なんてせずに、とりあえず残った
メンバーで始めて、宮戸さんと安生さんの気分
が戻るのを待ちましょう。
前田:一人でも欠けたらできない。
ミーティング終了。帰りのエレベーター内での会話。
船木:残ったメンバーで、前田さん抜きでもとりあ
えずやりませんか?
高田:前田さんがいなかったら無理だ。
(これは「船木誠勝の真実」に掲載されている部分で、
ほかの選手、関係者によるとまた違った描写になる
ので注意)
ここから事態が急展開し、数日のうちに3派に分裂し
てしまう。その流れを追うと、つぎのようになる
●宮戸による若手だけの新団体構想
●藤原が船木と鈴木に状況確認。新団体構想を聞いた
藤原は「全員引き受ける」と呼びかけ、メガネスー
パーが支援する話が浮上(藤原組)
●藤原の呼びかけに宮戸が断り、宮戸は高田に声をか
ける。
●田村、垣原がUインター、船木、鈴木、冨宅は藤原
組を選ぶ。
船木はUWFのルールにも言及した。
「佐山さんのルールは、プロレスとしてのゲーム性のよ
うなものを残してたと思います。ロープエスケープっ
ていうのが、そもそもプロレスじゃないですか。
相手を壊すのが前提の格闘技でやったら、選手が使い
ものにならなくなる。相手がロープに掴んでも技を解か
なければ壊せるわけで、パンクラスでは何人も選手が戦
闘不能になりましたから。
プロレス流の技の出し合い、受け合いという範疇を超え
てしまった。さらに目潰し、噛み付き、金的攻撃以外な
んでもありのパンクラチオンルールをつくったけど、
膠着ばかりでつまらなかったです」
「パンクラスまで、自分はずっと21世紀型のプロレス
を追求してたつもりです。プロレスはプロレスで、ちゃ
んと新日本も全日本も残りました。
むしろUWFとパンクラスが打ち出し、進化したものは
総合格闘技になっていった気がします。
そういう意味では、1984年にUWFを最初にやり始
めた人がすべての犯人じゃないですか。
もし、それがなければ日本の格闘技界はK-1ぐらいで
終わってたでしょう。
UFCが別物としてあったにせよ、PRIDEは生まれ
なかった。
高田さんや自分がヒクソンと戦うことはなかったでしょ
う」