・カシオ計算機の「電卓」誕生秘話 | ぐーすけとりきのブログ

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「答え一発 カシオミニ」のフレーズが一世を風靡
したのは約45年前。


それ以前の電卓は、オフィスでも高級な商品だった。


しかも事務机の半分を占め、約29kgもあった。


カシオ計算機は小型化とともに低価格化に成功。


昭和47年に発売した掌サイズの個人向け電卓
「カシオミニ」は、600万代を超える第ヒット。


その後も小型化・高性能化が進み、現在も生活の
必需品である。


昭和20年、東京──


東京は大空襲を受け、多くの建物や人々に犠牲が出た。


樫尾忠雄(28)も工場を失った。


昭和21年、東京・三鷹市に小さな町工場を父と
ともに再建。


忠雄の弟、樫尾俊雄(21)は兄に提案する。


「兄さん」


「よお俊雄か」


「オレ、会社を辞めようと思うんだ
ここも、いつまでも下請けでは発展しないよ。
なにか新しいものを作ろう」


「そうはいっても何をやっていいのかわからんし
何ができるというのだ?」


「ちょうどいま、銀座でビジネスショーをやっている
んだ。


なにかヒントがあるかもしれない。


いってみようぜ」


銀座のビジネスショーにおいて…


「へー、いろんな新しいのがあるなぁ」


「こいつは計算機だって」


「アメリカはすごいものをつくるな」


「しかしガチャガチャして、ちょっとうるさいな」


「これじゃ、仕事のじゃまになるな」


「これは歯車で動いているからだよ


電気的にやれば静かになるのになぁ」


「さすが電気通信省(現NTT)に勤めていただけ
あるな」


「待てよ、これならオレたちにもつくれるかも知れ
ないぞ」


「これをか!?」


「ああ、原理は思ったより簡単だよ」


「よし、みんなで協力してやってみよう」


俊雄を中心に、弟の和雄と幸雄も加わり、計算機
の研究が始まった。


昭和29年、電磁石を使ったソレノイド計算機が完成
した。


「やったな。専門家に見てもらおう」


専門家の言によると──


「独自開発とはすごいですね。

しかし連乗計算ができないと意味がないです」


(※連乗計算とは、掛け算を何度も繰り返していく
こと)


「連乗計算できる方式にします」


専門家も、協力すると言ってくれた。


「ソレノイドよりもリレー(継電器)を使ったほうが
よさそうだ」


昭和31年、リレー式計算機の試作機が完成した。


これは、机と計算機が一体化したもので場所を食い
いかにも扱いづらいものだった。
(しかし、今までのものよりも小型化していた)


「これはいい」


「来週、ウチの本社がある北海道で発表会をやりま
しょう」


専門家も太鼓判を押してくれた。


「ありがとうございます」


「といっても、こんな大きいものを飛行機に乗せ
られないぞ」


「分解して現地で組み立てるしかないな」


「大丈夫かな?」


北海道の発表会では…


「あ~動かない」


「どうした?!」


「組み立て方がまずかったかな~」


「こんなものに、もうわれわれは協力できん」


専門家は撤退を申し入れた。


樫尾兄弟の苦悩は続く。


「まいったぞ、ここまでできたのにお金が足りない」


「困った」


ところが、待てば海路に日和有り。


内田洋行という会社が協力を申し出た。


「この機械には未来が感じられます


わたくしたちに協力させていただきたい」


「あ、ありがとうございます」


昭和32年6月、世界初の小型純電気リレー計
算機「14-A」が完成。


役所や大企業で大評判となった。


社名も樫尾製作所から「カシオ計算機」と改名。


続いて発表した改良型も順調で、「カシオ計算
機」は、計算機のトップメーカーへと躍進した。


そこへ寝耳に水。


「他社からトランジスタ式の電子式卓上計算機が


発表されるぞ。


略して「電卓」だそうだ」


「電子式は不安定だ。


それにリレー式はまだまだ需要が有る」


ところが、昭和30年代末、電子式が主流となる
と、カシオ計算機のリレー式は旧式とされ出した。


「カシオも電子式にする。


しかし、出遅れた分、新しい機能をつけないと
勝負にならない」


こうして開発されたのが、カシオ初の電子式卓上
計算機「カシオ001」。


メモリ機能搭載のマシンだった。


値段は38万円。レジスターくらいの大きさであ
った。


すると今度は、他社も新型の電卓を市場に投入。


小型化・低価格化の電卓戦争となった。


そして、オフィスには急速に電卓が普及した。


「業務用は飽和状態だ」


「これからは個人用に販路を広げていこう」


「しかし、これ以上低価格にできないぞ」


「個人で買うなら、せいぜい1万円だ」


「そりゃ無理だ。蛍光表示管が高いのは知って
いるだろう?」


「待てよ


個人用ならいまの12ケタは必要ないぞ。


6ケタで十分だ。


ケタ送り機能を付ければ倍の12ケタにも


できるんじゃないか?」


「部品を少なくして、大量生産にすればコスト
も下げられる。


一万円台も可能だ」


「リスクが大きいな」


「1万台売れれば……なぁ」


電卓は事務器だから個人用としては考えられて
いなかった。


「まったくの空白地帯だ」


「事務器ではなく、文房具として文具ルートで売れ
ばいいんだ」


「よし、やってみよう!」


こうして開発は極秘プロジェクトとして進められた。


発表会当日──


「値段はどうする?」


「まだ決めてないぞ」


「よし、これだ」


「間に合わないからスタンプで押しとこう」


記者たちはプレスシートを見てビックリした。


「え!?1万2800円だって」


「目標10万台!?」


「ひとケタ違ってないか!?」


昭和47年8月「カシオミニ」発売。


重さ315gだった。


まったく新しいツールとして受け、10ヶ月で
100万台を突破する驚異的な大ヒット商品と
なった。


「答え一発 カシオミニ」


テレビCMもヒットし、「電卓」という言葉も
一般に普及。


事務機だった電卓は、一気にパーソナルなものと
なった。


この現象は「カシオショック」と呼ばれ、他社も
より小型で低価格の電卓に参入。


表示も液晶となり、サイズもついにカードタイプ
にまで進化。


価格も5900円まで低下。


カードサイズの「SL-800」は、厚さ0.8mm、
重さは12gだった。


カシオは専門メーカーの特徴を活かした独自の
開発で、小型・高性能の商品を発表。


その普及とともに、文字通り、電卓のトップメー
カーへと成長した。


昭和49年には電子腕時計を発表。


昭和58年にはG-SHOCKへと発展。

その後も多くの商品へと拡大展開していった
のだった。