1990年12月1日、UWF選手会が発足。
会長に前田日明、副会長に宮戸優光と船木誠勝が就任、
選手たちは一致団結して行動していくことを、決めた。
12月10日UWF選手会は、WOWWOWがUWFと
の契約を希望していることを明らかにした。
放映権料は5億円。大金である。
年が明けた1991年1月4日、前田は藤原喜明と
中野龍雄を除く全選手を渋谷道玄坂の雀荘に集めた。
この時、前田はレスラー以外の人間をふたり呼んでいた。
自分がエースとなり、神と鈴木の代わりにするためである。
しかし、宮戸は、神と鈴木が去ったあとのUWFを自分で
仕切ろうと考えていた。
前田が独断でフロントを刷新しようとしたことに、宮戸は
むくれたのだろう。
それでも宮戸が前田に面と向かって、文句を言うことは
できなかった。
前田も、ここでやめておけばよかった。
潔癖症の前田は、ちょっとしたザワめきを見逃さなかった。
「俺は納得がいかない。一致団結していない。
特に宮戸と安生が」
前田は自分のマンションに、もう一度選手たちを集めたのだ。
これが、UWFのその後を決定づけた、前田マンション事件で
ある。
何度となく、メディアを騒がせた集会であり、ご存知の方も
多いだろう。
前回の会合では俺が決めた方針に不服そうなヤツがいた。
俺のことが信用できないのか?
と高圧的な態度で迫る前田に、宮戸と安生が反発し、激怒
した前田が、
「俺を信用できないのならUWFは解散だ!」と言い放った
のである。
「なんやかんやいっても、あいつらは帰ってくるだろう。
俺がエースでない団体など存立しない」
と前田は思ってたふしがある。
しかし、旧UWFの場合と異なって、前田に声をかける
レスラーは存在しなかった。
明らかに、前田はこの時期、練習不足だった。
おなかポコ~リだった。
「なんでこの人が、勝ちブックを続けていくのか
納得がいかない」
宮戸は、船木をエースとする団体を画策するが、船木
と鈴木はメガネスーパーと契約した藤原に合流、後の
藤原組となった。
とびに油揚げをさらわれた様な感じになった宮戸は
高田を擁立し、一番所属選手の多いUWFインターナショ
ナルを発足させた。
そして、たった一人になった前田は「リングス」を
船出することになる。
ここまで書いてきて、手がプルプルと震えだした。
いろいろ書きたいこともあるが、気が向いたら
続きを書く事にします。
それじゃ・(*^-^*)ノ~~マタネー