「週刊プロレス」1988年5月3日号の表紙は、一枚
のチケットだった。
金色のバックに、緑を基調とした新生UWFの旗揚げ戦
「STARTING OVER」のチケットが斜めに
配置されている。
キャッチコピーは次の通りだ。
「5・12UWFのチケット わずか15分で「完売」
いったいどうなっているのだ…」
たった3試合しかない旗揚げ戦で異様な人気だった。
このあと、札幌、東京の有明コロシアムなど満員御礼
が続き、UWFは社会現象になった。
しかし、新生UWFは、佐山の作ったシューティング
・ルールをほぼそのまま採用した。
「3週間に5試合など冗談ではない、興行数の増加が
必要なのだ」と佐山を否定していた前田であったが
新生UWFの試合間隔は一ヶ月に1試合と、旧UWF
よりもさらに長くなった。
さらに、新生UWFのレスラー全員が、佐山が考案した
シューティング・レガースとシューティング・シューズ
を身につけていた。
すなわち、わずか2年半前に佐山のシューティング・
プロレスを全否定した前田日明は新生UWFを旗揚げ
する際には、佐山のシューティング・プロレスを模倣
せざるを得なかったのだ。
前田は有明コロシアムでのジェラルド・ゴルドー戦も
勝利。「新格闘王」の名を欲しいままにしていく。
しかし、この勝利もゴルドーが約束を守ってくれたが
ゆえにできたことであった。
リハーサルで前田の右目を負傷。
「本番の試合中に、もしお前が寝技でヘンなことを
やってきたら、俺はいつでも今と同じようにキック
をいれてやるからな」
「私はマエダにそう念を押した」──ゴルドー
UWF旗揚げ後、1年たって藤原喜明・船木誠勝・
鈴木みのるが新日本から参戦。
単調だったローテーションの試合にも、幅が広がり
興行も順調なように見えた。
しかし、大阪球場のビッグマッチでは、実はその時点で
売上が伸びず、大量の招待券をばら撒いた。
パナソニック系列のお店に招待券を5枚ずつ送った
という。
悪い流れを断ち切るために乾坤一擲で打った東京ドーム
大会「U-COMOS」も失敗。
実券が売れたのはせいぜい1万5000枚程度。
残りは招待券を大量にばらまいて、無理矢理に客席を
埋めた。
東スポで行った読者プレゼントには、応募者全員に
チケットを送った。
そうだよな~、ドームの前にいるダフ屋が500円で
売ってたもの。
U-COSMOSは巨額の赤字を出した。
しかし、前田には「観客が入っているのに赤字とは
解せない、売り上げをフロントが着服しているのでは
ないか」と勘ぐりを入れられてしまう。
またフロントが、メガネスーパーと提携しようとする
ことも前田は気に入らなかった。
自分の目指す戦いが見せられなくなるといって。
(当時メガネスーパーはSWSという団体を持って
いて、そこの所属のレスラーと対戦することになる
から)
疑心暗鬼に陥った前田は、「会社の経理に不正がある」
としてフロントと対立。
エースと社長との対立が明らかになると、UWFのレスラ
ーの間には神と鈴木(フロント)に関する様々な噂やデマ
が飛び交った。
神と鈴木の月給は200万円で、前田さんより高いらしい。
神はマンションを3つも買ったらしい。
神はUWFをメガネスーパーに売り飛ばすつもりらしい。
そもそも背広組がレスラーよりも高い給料を取るのは
言語道断だ。
あいつらは俺たちのお蔭で食えているのに…。
前田に冷静になってもらうために、神社長は五ヶ月間の
出場停止処分を科した。
だが、すでにUWFのレスラーたちは神と鈴木を信用
していなかった。
UWF最後の戦いとなった、松本運動公園体育館大会の
リング上で、メインを終えた船木誠勝は、こう叫んだ。
「前田さん!前田さん!リングに上がってきてください」
前田がリングに上がり、万歳三唱。
選手は一丸となり、一枚岩となってすべてはうまくいった、
ように見えた。
しかし…。