◆「1984年のUWF」柳澤健のレビュー・2~新日と提携・新格闘王へ | ぐーすけとりきのブログ

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このコラムを書く事は、正直しんどい。

しかし、リアルのUWF信者とすれば、これほどまでの
UWF本を出版してくれた以上、答えずばなるまい。

一話題一話題はこれまで知っていたものであるが、ジグ
ソーパズルを作り出すように、「これとこれがつながる
のね」「これがあったからこうなったのね」とピースを
はめてゆき、そうするとぼんやりとしたUWFの全景が
まとまって見えるのだ。

さて、新日本に登場した前田らは格闘技の匂いのする
プロレスを展開する。

しかし、前田はワークも行っている

クラッシャー・バンバン・ビガロにフォール負けしている
のだ。

しかし、弱いレスラー相手には、受けずに責めばかりして
怪我をさせることが度々あった。

当時の外国人レスラーのボス、アンドレ・ザ・ジャイアント
は前田をリング上で制裁することにした。激怒していた。

相手は決して自分に怪我をさせない、というルールを
破ったからだ。

アンドレvs前田戦では、、まず最初にアンドレが全体重を
前田にかけて、のしかかっていく。

不自然な形で2人の身体が重なって崩れる。

そして異常な締め上げ方のフルネルソン。

リングサイドにいた星野が「アキラ、行けいけ」と声を
だした。すると前田は「行っていいんですか!?本当に
行っていいんですか!?」と何度も星野に言葉を浴びせた。

声に詰まる星野…!

前田は、今まで見せたことのなかったような、激しく速い
キックを、アンドレの左ヒザに叩き込みだした!

そして、信じられないことだが、右足の裏でアンドレの
左ヒザの皿を蹴り出した!

たまらず、アンドレはダウン。

起き上がることはなかった。

猪木も、親日勢も、UWF勢もリングに飛び出してきて
26分35秒の長い試合は「無効試合」として終止符が
打たれた。

この試合を目撃したマスクド・スーパースターは前田を
最悪のレスラーだと証言している。

「正直に言おう。

マエダはガッツがなく、自分のことしか考えないセルフ
ィッシュなレスラーだ。

私はマエダとは何度も戦っている。

マエダが私やマードックを傷つけることは決してない。

シュートを仕掛けられたこともない。

もしそんなことをすれば、必ず報復を受けることを
マエダはよく知っているからだ。

我々は決して許さないからね。

アンドレはマエダを捕まえようとしたが、できなかった。

体のコンディションが悪く、上手く動けなかったからだ。

当時、アンドレの健康状態は良くなかった」

しかし関係者の証言もどこ吹く風。

アンドレを戦意喪失に追い込んだ、空前絶後のレスラー
として、不動の地位を前田は手に入れる。

そして、ドン・中谷・ニールセンという日系三世の
キックレスラーと異種格闘技戦を行うことになる。

「新日本の前田つぶしではないか」と疑心暗鬼になる
前田。しかし実際には前田の取り越し苦労に過ぎなかった。

5ラウンド2分26秒、前田が逆エビ固めで逆転勝利す
ると、会場は文字通り爆発した。

大道塾の東孝代表らも、「これはリアルだ。前田は凄い」
と高評価を付け、以後前田は「新格闘王」と呼ばれる
ようになった。

さて、UWFの参入によって、息を吹き返したような
新日本だったが、視聴率は伸びなかった。

新日本は満を辞して、当時全日本でプレーしていた長州を
一本釣り。スーパー・ストロング・マシン、小林邦昭や
長州を慕うレスラーも新日に上がることになった。

危機意識を感じた前田は、弱い(あるいはやり返すこと
のできない)相手に対して、危険な技を織り成すことに
なる。

1985年の大阪城ホールでは、前田の縦回転のニール
キックによって藤波が大流血した。

レガースの留め金が当たったためだ。

当たったのはこめかみ付近で、一つ間違えば失明の危険
もあった。

1987年の11月19日の後楽園ホールでは、サソリ
固めの体勢に入った長州の目の付近を前田が蹴り、長州
の目はたちまち膨れ上がった。

狙って蹴ったことは明らかであり、事態を重く見た
新日本プロレス上層部は即座に無期限の出場停止処分
を科した。

しかし、前田に謝罪の意思はなく、「メキシコ遠征」
の話もあったが、これもお流れになり、多くの仲間が
前田を説得したが、すべて失敗に終わった。

これでは組織を運営する新日本プロレスとしても前田
を解雇する他なかった。

前田はUWFの独立を決意。

高田延彦と山崎一夫と誘い、高田は中野、安生、宮戸
を呼び込んだ。

たった6人での旗揚げ。

これが大当たりすることになる。