馬場がアトキンスから「力道山がギャングスターに刺さ
れた」と聞いたのは、強豪の一角にはいろうとしたそん
な頃だった。
「驚くには驚いたが、大したことはないだろうと思って
いた。
プロレスラーというのは何ちゅうか、ケガとかいうもの
には割合、鈍感なんですよ。
酒飲んで酔っ払ってナイトクラブで刺されたと聞いても
ああ喧嘩やったなと思ったけれど、それほど重大事には
考えてなかった。
刺されたといっても腕か何かで、かすり傷ぐらいかなと
いう感じだったねえ。」
(G・馬場「東京スポーツ」1983年5月25日)
手術は成功し、術後の経過も良好だった。
しかし力道山は刺されてから1週間後の12月15日に
死亡した。
日本プロレス界は、たちまち蜂の巣をつついたような大
混乱に陥った。
日本プロレスの独裁者が突然いなくなったのだから当然
だろう。
豊登は全レスラーを招集して「これからは民主主義で行く」
と宣言した。
新たに選手会を作る。
すべての選手は選手会に入る。
全員が発言権と投票権を持つ。
選手の身分や福利厚生は保証する。
ただし、日本プロレスの方針は豊登、芳の里、吉村道明、
遠藤幸吉の合議制で決める。
エースは俺がやる。
豊登の発言に異を唱えるものはひとりもいなかった。
次に豊登は外国人招聘担当のグレート東郷を排除したい
と言った。
東郷は力道山先生から不当にギャランティをむしり取り
日本プロレスを食い物にしてきたので、かわってハワイ
の沖識名さんに外国人レスラー招聘担当になってもらお
う、というのだ。
東郷にも言い分がある。
ワールドリーグ戦を軌道に乗せたのも、グレート・アント
ニオでセンセーションを巻き起こしたのも、ブラッシー
に噛み付かれて大流血して新聞の話題を独占したのも、
馬場をアトキンスに預けてアメリカの人気者にしたこと
も、すべては俺がやったことだ。
要するに、豊登たちを食わせてきたのはこの俺だ。
にもかかわらず、豊登たちは俺にカネを払うのはイヤだ。
クビにするという。
激怒したグレート東郷は、カナダのアトキンスに国際電話
をかけた。
「馬場を日本に帰すんじゃないぞ」
豊登は、力道山に代わるエースは自分以外ないと考えて
いた。
ジャイアント馬場がいなくとも日本プロレスは充分に
やっていける。
数年後には、弟分の猪木が立派になっているだろう。
それまでは俺がエースをやる。
何の問題もない、と。
豊登率いる日本プロレスは、地方興行を田岡一雄が社長
を務める神戸芸能社に丸投げしていた。
関西の興行は山口組の田岡が、関東は東声会の町井が
仕切る。
力道山の下で、長く気楽な高給取りのサラリーマンを
やっていた豊登たちにとって、ジャイアント馬場は、
目障りな後輩に過ぎない。
しかし、興行関係者にとってのジャイアント馬場は、
力道山亡き後、客を呼べる唯一のスターであった。
力道山が死んで、ただでさえ客足の衰えが心配なのに、
人気者の馬場を東郷に取られただと?
4月には大切なワールドリーグ戦があるんだろう?
豊登がエース?
外人は沖識名がハワイから呼んでくる二流レスラー?
バカ野郎どもが、興行はそんなに甘いもんじゃねえ。
客の興味を惹くような取り組みを作れないなら、地方
興行をまるごと買う話はご破算にするぞ。
東郷が馬場、大木と一流の外国人レスラーを引き連れて
日本で興行を打ったら、お前たちなんか一発で吹き飛ぶ。
俺たちはそっちの興行を買ったっていいんだ。
田岡および町井の怒りを知って、それまで馬場に冷淡
だった豊登ら4幹部も事態の深刻さにようやく気づき
慌ててアクションを起こしたのである。
閑話休題(それはさておき)
力道山死後、馬場に面会したグレート東郷はこういった。
「力道山が死んで、日本のプロレスはもう終わりだ。
だから、お前は日本に帰らずにアメリカに残れ」
馬場が返事をしないと、東郷は馬場の前に一枚の紙を
置いた。
内容は次の通りだ。
契約金16万ドル、年収は手取り27万ドルを保証
する。契約期間は10年。
恐ろしい金額である。
当時の27万ドルは、現在の貨幣価値に直せば5~6
億円にあたるだろうか。
10万ドルが超一流の証明だった時代に、3倍近い
27万ドルを保証されたのだから凄い。
1964年のジャイアント馬場は、イチローや松井
秀喜以上の価値を持つ日本人アスリートだったので
ある。
話を元に戻そう。
日本プロレスは遠藤幸吉を、馬場の泊まっている
ホテルへと派遣した。
馬場は一瞬のうちに自分を取り巻く状況を把握する。
なるほど、それでわかった。
東郷は、日本プロレスにクビを切られたからこそ、
自分と10年に及ぶ長期契約を結ぼうとしたのだ。
俺を人間扱いしなかったグレート東郷と、力道山
が死んだ時に連絡をくれなかった日本プロレスは、
いまや何とかしてこの俺を手に入れようと必死に
なっている。
悪くない状況じゃないか。
トロントのフランク・タニーと結んだ契約は1月
いっぱいで切れる。
日本プロレスとは何の契約も交わしていない。
つまり、2月以降のジャイアント馬場は、まったく
のフリーランスなのだ。
アメリカで暮らそうが、日本に戻ろうが、すべて
は自分が決めることだ。
急いで結論を出すのは愚かだ。
そう考えた馬場は「とにかく一刻も早く帰国して
ほしい」という遠藤の要請を「まだ契約が残って
いるから」とやんわりと断った。