▼1 聖徳太子は、本当にいたのか?いないのか? | ぐーすけとりきのブログ

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 古代の日本を代表する政治家といえば、
真っ先に「聖徳太子」の名前が思い浮かぶことだろう。


 かつては多くのお札にその顔が印刷されていたこともあるから
聖徳太子は日本人なら誰でも知っている人物ともいえる。


 聖徳太子は、以前は家柄で決められていた朝廷の役人の地位を、
その人の能力に応じて決める「冠位十二階」や、
役人の心構えを規定した「十七条の憲法」の制定など、
それまでのものを一新した政策を推し進めた人物として知られる。


 仏教に深く帰依し、国内のみならず海外の事情にも詳しく、
天皇を補佐する「摂政」という地位を与えられて活躍した
というのが従来の聖徳太子像であった。


 また、聖徳太子の母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとの
ひめみこ)というが、
彼が生まれる前、菩薩が彼女の前に現れ、
「お腹を貸してほしい」といい、その後生まれたのが
聖徳太子であるという伝説や、
政治の世界にいた時には、10人の相談者の話を
同時に理解し、返答したという話も伝わる。


 いわば、聖徳太子は古代の政界における
「スーパースター」として後世に伝わっているのだ。


 だが、このようなことは教科書などでかつては
知られていたが、現在では「聖徳太子はいなかった」と
いう説が声高にいわれている。
そのモデルとなった」厩戸皇子(用明天皇の御子)は
実在する人物であるが、「聖徳太子」と呼ばれた人物は
存在していなかったようである。


 その証拠に、
聖徳太子本人が生きていた時代に書かれたり
作られたりした史料は何も残ってないし、
「日本書紀」中の「十七条の憲法」についての
記述に使用されている「国司」という言葉は
彼の生きた時代よりもずっと後のものである。


さらに、日本最古の歴史書である「古事記」には、
彼が補佐していたとされる推古天皇に関しては記述が
あるものの、彼自身については何も触れられていないのだ。


 これらのことから、実在していた厩戸皇子をモデルに、
「聖徳太子」という偉大な政治家を後世になってから
作り出したと考えられるようになっている。


 唐本御影(とうほんみえい)とも呼ばれる、
聖徳太子の有名な肖像画も、現在では
「伝・聖徳太子像」と記述されることも少なくない。