◆ 生類憐れみの令で反感を買った犬たちの処置 | ぐーすけとりきのブログ

ぐーすけとりきのブログ

ブログの説明を入力します。

 江戸時代に出された法令の中でもっとも有名なものの一つが
「生類憐れみの令」であろう。この法令は5代将軍・徳川綱吉に
よって1685年頃から出されたもので、綱吉の21年におよぶ
在位期間中、60回も発令されたという。綱吉の気まぐれな法令と
いっても過言ではあるまい。


 この法令で保護の対象となったのは犬をはじめ、猫、鶏、牛、
馬、亀、蛇など多岐にわたる。魚介類もその対象で、生きたまま
売ることが禁止されたため、ウナギやドジョウをあつかうことも
できなくなった。


 生類憐れみの令において、多くの保護規定が出されたのは犬に
関することだった。これは「犬公方」とも呼ばれた綱吉の意向を
反映したものであるが、法令違反者に対する罰則はかなり厳しく
家来が犬に噛み付かれたためその犬を切り殺したところ、切腹を
命じられた藩主がいたり、銃で鳥を撃って商売していた与力や
同心らはそれが発覚したため、11人が切腹を命じられたほか、
子供も流罪に処せられたほどである。(夏のよにうるさい蚊を
たたいて島流しになったという例もある)


 そんな状況であるから、誰も犬に近寄らなくなり、エサをやる
こともなくなったため、野良犬が増えてしまう。対策に困った
幕府は、当時は田園風景が広がっていた江戸近郊の中野や喜多見、
四谷などに犬小屋を設け、そこで犬を飼うことにしたのだった。
中野の犬小屋は16万坪もの広大な敷地に築かれたもので、収容
された犬の頭数は8万2000匹、年間の餌代は9万8000両
にもおよんだというから驚きである。現在のお金に換算すると、
餌代は数十億にもなり、しかもそのお金を工面したのは江戸の
住民だったのだ。


 このように、「悪法」の異名を持っていた生類憐れみの令だった
から、綱吉が「この法だけは自分の死後も存続させるように」と
言い残したにもかかわらず、死後10日ほどで廃止されることに
なった。