昨今刊行された歴史経済小説の主人公となったことで再注目を
浴びることになった人物が、出光佐三(いでみつさぞう)である。
神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を卒業後、一流企業へ就職
することはせず、神戸の酒井商会で丁稚奉公し、石油と小麦粉の
商いを学んだ佐三は、1911(明治44)年、25歳のときに
独立して出光商会を創立した。
その後、第2次世界大戦にてそれまで築いてきた海外資産の
すべてを失うが、利をむさぼることをせず、社員をひとりの人間
として信頼する経営哲学によって見事再建し、後継に繋いだ。
出光の言葉がいまでもありがたがられているのは、その温かい
眼差しによるものなのだろう。
では、佐三の最期は果たしてどのようなものだったのだろうか。
1970(昭和45)年、86歳のとき、会社の急激な伸張・
発展に企業時の精神がついていっていないと感じた佐三は檄を
飛ばし「若い人への遺産相続」を済ませていた。
そして、それから11年後の1981(昭和56)年3月6日
腹部に激しい痛みを感じた佐三は、主治医に診てもらったものの、
翌日に容態が急変し、急性心不全にて亡くなった(享年95)。
このとき、佐三の亡骸の側には最近入手したばかりの江戸後期の
禅僧・仙崖(せんがい)の「双鶴画賛」があった。出光がとて
も好きだったのが仙崖の書画で、仙崖という名前が一般的に知ら
れるようになったのは佐三のおかげといっても過言ではなかった。
この「双鶴画賛」に書かれている賛がまた面白く、「鶴は千年
亀は萬年 我は天年」という長寿をよろこぶものであった。
まさに、95歳で逝った佐三に似つかわしい書画といえる。
なお、佐三のコレクションは出光美術館(東京都千代田区丸の内
1966開館に収められており、日本の書画の他、日本や中国の
陶磁器をはじめとする東洋美術、ルオーやムンクなど海外の画家
の作品などを楽しむことが出来る。