第2次世界大戦における日本の無条件降伏後の1945年(昭和
20年)8月30日午後2時5分、ダグラス・マッカーサーは
連合国最高司令官として厚木飛行場に降り立った。
開襟シャツにレイバンのサングラス、そして口にはコーンパイプ。
その姿はまさに、「先進国」アメリカを象徴するものであった。
さて、日本の民主化と非軍事化を実現していったマッカーサーだ
が、「アメリカ政府や国連の公務に対して心から支持していない」
という理由でトルーマン大統領から解任され、1951(昭和
26)年4月16日に羽田飛行場から帰国。そのあと、どのような
生涯を送ったのだろうか。
全米各地で熱狂的な歓迎を受け、議会で「老兵は死なず、ただ
消えゆくのみ」というあまりにも有名すぎる演説をした彼だった
が、「消えゆく」思いは微塵も持ち合わせておらず、実は対日政策
の成果をひっさげて、帰国の翌年に行われる大統領選に打って
出ようとしていたのだ。
マッカーサーの解任当時、アメリカ国民は英雄である彼の職を
解いたトルーマン大統領に対して非難の目を向けており、マッカー
サーのその世論を基盤にしていたが、「マッカーサー・ブーム」も
長くは続かなかった。同年の共和党大会において、彼が大統領候補
に押されることもなかったのだ。
1952(昭和37年)7月には民間企業のレミントンランド社
の取締役会長に就いたが、これは名誉職とも言えるもので、政治
軍事の世界でなおも活躍しようと考えていた彼にとっては何も得る
ものはなかったといってもよい。
1962(昭和37)年、陸軍士官学校の最高勲章であるシル
バナス・セイヤー・メダルを贈られたが、ほどなく胆のうを患い
2年後には入院を余儀なくされ、同年4月5日、ワシントンの
ウォルターリード陸軍病院で亡くなった。(享年84)