佐藤健次郎、享年42歳。死因は胃ガンだった。
遺族は、妻の百合、長男で中学校一年生になる朗、次男で
小学校3年生になる京治であった。
健次郎は、東大法学部在学中に当時の国家公務員上級試験に
合格し、通産省に入省。その後順調に出世し、現在は課長職に
あった。アメリカ合衆国通商代表部を相手に、縦横無尽の活躍
をしたやり手の課長であり、将来を嘱望されていた。
ある夜健次郎が、霞ヶ関の地下鉄ホームで電車をまっていたと
ころ、急に胸が苦しくなってきた。思わず込み上げてきたものを
吐き出すと、それは大量の血液だった。薄れていく意識の中
救急隊員のヘルメットの白さだけがぼんやりと記憶に残った。
健次郎は直ちに、近くの日比谷帝国病院に救急車で担ぎ込まれ
た。そこでさまざまな検査がなされた。
5日後、担当医の香山太一は、
「あなたの病気は、出血性胃潰瘍ですから心配することはありま
せん胃を3分の2ほど摘出すれば、もとの健康な体に戻りますよ」
と、ガンではないかと内心心配していた健次郎を安心させてくれ
た。そして香山医師のいうとおり、胃の3分の2の摘出手術を
行い、見事に成功したので、これで命だけは助かったと、健次郎
も百合立ち家族もこころから安堵した。
健次郎は日比谷帝国病院に2ヶ月入院した後、退院し、無事
職場に復帰した。
しかし、それから1年以上経った頃
「どうも、最近吐き気がして仕方ない」
健次郎は百合に、そう訴えるようになった。
百合が隣で食事をしていても、健次郎は食べ物が飲み込みにくい
様子で、そばで見ていても気の毒なくらいであった。そして、
体重がさらに減少するなどの症状が続いたため、百合はいやがる
健次郎をガンの治療で有名な富士青木病院に連れて行った。
健次郎は、富士青木病院で3日間検査を受けた。
その1週間後、百合だけが担当の久松医師に呼ばれた。
「奥さん、お気の毒ですが、ご主人は胃ガンです。もって2ヶ月
早ければ1ヶ月の命です」
これを聞いた百合は、予想されたこととはいえ、本当に目の前が
真っ暗になってしまった。そして、一晩眠らずに考えて、このこと
は夫には一切知らせまいと決心した。
「おい、百合、俺はあとどのくらい生きられるのかね。成人した
朗や京治と一緒に酒が飲みたかったなあ。お前にも苦労をかけ
っぱなしだった。ゆっくりと温泉にでも連れて行きたかったなあ。
こんな体じゃ、それももう無理だ。すまないなあ」
「何を言っているのですか。お役所で、アメリカの大統領が何を
いってきても俺は負けないぞって頑張っていたあなたはどこに
いってしまったのですか。約束のイタリア旅行にも連れて行って
もらってないのよ。逃げ出すなんてずるいわよ」
日に日に痩(や)せ細っていく夫に百合は、なす術がなかった。
抗がん剤の副作用で嘔吐を繰り返し、苦しんでいる夫の姿を見る
のは本当につらかった。
そして、富士青木病院に健次郎が入院してからわずか45日目の
朝。
「お母さん、おれがガンだってことを黙っててくれてありがとう。
本当につらかっただろう。最後の最後まで苦労かけっぱなしだった
ね、かってなお願いで申し訳ないが、朗や京治をよろしく頼む」
といいながら、百合の手を握った健次郎が再び話をすることは
なかった。
百合は、日比谷帝国病院の香山医師がきちんと検査してくれて
いれば、胃ガンを早期に発見でき、夫も死ぬことはなかったのでは
ないかと悔やまれてならなかった。
百合たちは、日比谷帝国病院や香山医師に対して、損害賠償
を請求できるだろうか。