浜松城。この城は「出世城」として名高かった。
江戸時代、浜松城の城主を務めた半数以上が老中、大阪城代
京都所司代など幕府の要職についている。城主がこれだけの
出世した城はなく、出世城と呼ばれるようになったのだった。
もともと、この城は今川家に属していたものだったが、徳川
家康が奪取し、居城としていた。その3年後、武田信玄が三河
に攻め寄せてきた。勇敢な武田2万5000の軍勢を見て、家臣
は「このうえは籠城すべき」とすすめる。
徳川の兵はわずか1万で勝ち目はない。しかし家康は「敵に
庭先を踏みつけにされて見過ごしては、弓矢を取るものの名
折れ」と、あえて決戦を挑んででた。その結果、徳川軍は叩き
のめされ、家康は十数名の旗本に守られ、命からがら帰城する
ことになる。
ようようにして城に帰り着いた家康は、恐怖のあまり、なんと
馬上で脱糞してしまっていた。しかし「籠城が常套手段なのに
家康公は強気である。これこそ武門の誉れ」と、家康の評価は
大いに上がり、これをきっかけに出世街道をトントン拍子で
上り詰めたのである。
ただし、家康はあくまでも脱糞を認めず、衣服についていた
ものを「弁当の味噌がついたのだ」と言いはっていたという
話もある。
しかし、脱糞するほどの恐怖の負け戦を、今後共、二の轍
を踏まないように脱糞直後の自らの肖像画を描かせたりもして
いるので、用心深い家康は汚くてもあえて脱糞姿を記録に
のこしたのだという説が真実に近いのではないかとぐーすけは
思う。