▼7 明治の新聞が継続購読を狙った作戦とは | ぐーすけとりきのブログ

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 明治5年、東京で「東京日日新聞」が創刊された、一枚
刷りの新聞という形ではじめて発行されたものである。


 それ以前も、「太政官日誌」や「横浜新報」などの新聞
はあったが、これらは政府が発行する官報の一種で、形も
和紙に刷って綴じた和本と同じものだった。

 そこで、新たに上海に注文した外国製の活字を使って
印刷をはじめたのである。

 当時、自由民権運動が盛んとなる気運が生まれてきたので、
これを契機として「東京日日新聞」のほかにも幾多の新聞が
発刊されることになる。

 私たちは新聞といえばニュース中心の紙面を思い浮かべるが、
当時はニュースも報道はしたものの、それよりも政治批判や、
外国に対する論評などが中心だった。経済や文化に関する
記事も少なかった。


 もうひとつ興味深いのは、日本だけの特色とも言える連載
文芸が掲載されたことだ。日本では、朝刊・夕刊ともに連載
小説があって、それが普通と思っているかもしれないが、
外国では例を見ない。


 これは日本人が無類の文芸好きだからではなく、実は続き
ものを載せて読者を引きつけ、継続購読させるためのもの。
いわば営業戦略なのである。

 とはいえ、この新聞小説の連載は、多数の文士を生み、同時
に日本人の生活の中に文芸が定着するきっかけになった。最初
は講談物を連載していたが、後には連載小説となり、たく
さんの人がそれを読んで文芸に親しんだのだった。