平安時代の宮中を舞台とした小説が「源氏物語」。平安時代の
女流作家である紫式部によって書かれた、かな文字の作品である。
「桐壺」から「夢の浮橋」まで全54帖。光源氏をめぐる女た
ちの宮廷生活や人間模様などが描かれているこの長編小説は、い
まも世界最高の小説のひとつとされている。
これほどすぐれた小説を書いたのだから、作者の紫式部もエレ
ガントで知性にあふれた女性だったと思いたい。しかし、実際に
は文才を鼻にかけたイヤミな女性だったという。
たしかに、紫式部は幼い頃から利発だった。兄が中国の古典を
学んでいると、そばにいた紫式部のほうが速く覚えてしまったそ
うで、学者でもあり、詩人でもあった父・藤原為時は、紫式部が
男でないことを心底、残念がったという。
20代前半に、藤原宣孝と結婚。宣孝は多数の妾を持つ40男
だったが、なぜ紫式部が結婚したのかといえば、宣孝の学識や
家柄の良さに惹かれたからと言われている。
しかし、宣孝が急死し、結婚生活はわずか3年で終わった。宣
孝の間にできた娘と一緒に実家に戻った紫式部は、源氏物語を
書き始める。
「桐壺」「空蝉」「夕顔」「若紫」を書き上げた紫式部の評判
は、宮中にも伝わり、かの藤原道長は、娘の彰子の女官として
紫式部を出仕させている。彰子は一条天皇の中宮で、天皇には
定子という中宮もいた。この定子に仕えていたのが、清少納言で
ある。
定子は出産のあと亡くなり、清少納言は宮廷を去っている。こ
のとき彰子はまだ13歳で、一条天皇も21歳と若く、紫式部
の出仕はその後のことである。
ちなみに宮中での評判は、圧倒的に清少納言のほうがよかった。
清少納言はやや自己顕示欲が強かったものの、明るく社交的だ
った。それに対し紫式部は陰うつで引込み思案。性格的にもけっ
こう冷たい女性だったらしい。