日本で最初の銀行といい、会社といい、取引所といい、新しい
仕事のほとんどは渋沢栄一が直接手を下したものだといわれる。
日本の財界は、彼の頭の中に描かれた設計図のもとに着々と
建設されていったようだ。
資本主義、商業主義の基礎づくりに大活躍をし、実業界の総
大将だった人物だったにもかかわらず、渋沢は金銭には淡白だっ
た。
「私がもし一身一家の富むことばかりを考えたりしたら三井や
岩崎(三菱)にも負けなかったろうよ」と語っている。
彼がこの世を去った年は昭和3年。プロレタリア運動が盛んに
なりだした時期だったが、雑誌に、栄一の死を悼む、こんな歌が
あった。
「資本主義を罪悪視する我なれど、君が一代を尊くおもほゆ」
渋沢が関係した営利事業は約500もあった。また社会事業
その他は約600もある。
彼が晩年に振り出した小切手は、期日が過ぎたのちまでも、銀行
に入れられずに、人々の手から手へ、ちゃんと流通した。それは
小切手を受け取った人間が「オレは渋沢と取引があるんだ」と
自慢するためにしまいこんでいたからだといわれる。