織田信長については、冷酷な人間という説もあれば、少々カンは
つよいが人情味もある戦国大名だったとか、諸説有り、本物の彼
がいったいどのような人物だったのか、真相は歴史の闇の中に
ある。
当時、宣教師として来日し、信長の許可を得て布教活動にいそ
しんでいたルイス・フロイスは、オランダ語で長い日記を書いて
おり、当時の戦国大名の実像がかなり鮮明に残されている。織田
信長に関してルイス・フロイスは、次のように記している。
「この尾張の王(信長)は背が高く痩せていて、」ヒゲは少な
い。高い声を出す人で、武芸を好み、振る舞いは乱暴である。
正義を尊び、決断が早い。戦上手であるが、部下の言うことは
ほとんど聞かない。各地の諸侯に対しても軽蔑し、肩ごしに話
しかけるような口のきき方をしている。神や仏などはほとんど
信じてはいないし、占いに頼ることもない。いちおう法華宗と
いうことになっているが、宇宙の造主・霊魂の不滅などはあり
えないし、死後にはなにも残らないのだと、はっきり言い切って
いる」と。
信長のそうした考え方を証明する証拠のひとつが、永禄12年
(1569)に信長が将軍足利義昭のために、普通は3年かかる
館の建造をたった70日で仕上げてしまった事実だろう。
この急ピッチな工事の為に、信長は付近の寺の石段や、土地の
人が毎日祈りを捧げていた石仏などもおかまいなしに削ってしま
い、館の石垣にしてしまったのだという。神仏を恐れる当時の
常識的ね武将には、けっして真似のできないことだったろう。
この時信長は、「なにが寺か。なにが仏か。寺や仏がわれらを
助けてくれるものか。今のわれらに必要ないものは、すべてたた
きこわしてしまえ」と語っていたというから、フロイスの信長観
は、まことに的を射たものだったといえるだろう。