■2 ツタンカーメンの呪い【真相】★その1 | ぐーすけとりきのブログ

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そもそも「ファラオの墓に触れるものには、死が翼に乗って
素早く訪れる」などという碑文は、ツタンカーメンの墓には
存在しなかった。それは当時のマスコミがでっち上げたもの
なのである。


当時、カーナヴォン卿はロンドンのタイムズ社と独占契約を
結んでおり、タイムズ社以外の報道機関にいっさいニュースを
流さなかった。そのために世界中のマスコミから非難が
集中した。


かくして、カーナヴォン卿が急死した直後、彼を恨む記者に
よって「ツタンカーメンの呪い」という物語が創作され
新聞を賑わすことになったわけである。


現在でも「ツタンカーメンの呪い」が存在するかのように
書いた本は何冊もあるが、かなりデタラメな内容である。
たとえばJ・ミッチェル&リカードの「フェミノナ~
幻象博物館」では、発掘の日付とカーナヴォン卿の死んだ
日付が混同されている上、メイスが死んだのは
カーナヴォン卿の死の直後にされていたり(実際には
5年もあと)「はじめに霊廟を侵した者のうち、
1930年まで生き残ったのは、わずかにひとり、
つまり医師ハワード・カーターだけである」などと
書かれている。


実際には、カーターより長生きした者もいる。たとえば
カーナヴォン卿の娘のイヴリン・ハーバートだ。
彼女は封印の解かれた墓室に最初に足を踏み入れた
三人のうちの一人であり(他の二人はカーナヴォン卿と
カーター)真っ先に呪いを受ける人物であるはずなのに
死んだのは発掘から58年もあとの1980年、
享年78歳であった。