1922年、ハワード・カーターの指揮する考古学調査隊は、
エジプトのルクソール市の西にある「王家の谷」で、
古代エジプト第18王朝
のファラオ、ツタンカーメン(トット・アンク・アメン)の墓を
発掘した。墓の中からは、有名な黄金のマスクをはじめとして
数多くの貴重な副葬品が発見され、考古学に大きな進歩をもたらした。
だが、不吉なことに、封印されていた墓の入口には「ファラオの墓
に触れるものには、死が翼に乗って素早く訪れる」という呪いの
碑文が刻まれていたのである。
その呪いはすぐに現実のものとなった。調査隊のスポンサーであり
墓の開封にも立ち会ったカーナヴォン卿が、翌年の4月に急死
したのだ。その5ヶ月後には、カーナヴォン卿の弟の
オーブリ・ハーバードも死んだ。その5年後にはカーターの
片腕であったアーサー・C・メイスも病死した。
犠牲者はさらに広がった。
発掘に関係した者や、その家族、発掘された墓を訪れた
者などが、次から次へと奇怪な死を遂げたのである。
その数は20人以上にものぼった。
新たな犠牲者が出るたびに「ツタンカーメンの呪い」はマスコミで
取り上げられ、人々を恐怖させた。有名な作家のコナン・ドイルは、
これを墓に残留する超自然的な力のせいであるとした。
1960年頃には、連続死の原因を「微生物のせいではないか」
とする説も唱えられた。墓室の中に封じ込められて活動を
停止していた古代の微生物が、カーナヴォン卿やその他の
者たちに感染し、異常な死を引き起こしたというのである