立花隆がはじめて本を世に出したとき
「帯」を寺山修司が書いている。
「立花が文藝春秋社を辞めた、と聞いてなるほど、と思った
てっきり小説を書くのだろうと思ったからである。
そんな才気が、彼にはあった。
ところが彼が最初に出した本は
意外にも小説ではなくて
人物ドキュメントであった」
結局、寺山は天井桟敷の延長線上に
どんどん走って行き
立花はフィクションに染まれず
寺山とは別の道を歩くことになった。
では、なぜそんなにフィクションを嫌ったのか。
「それは基本的に「作りもの」がきらいだからです。
ぼくも一時はフィクションを書く事を志したくらいだから、
もちろん、作り物が全面的にきらいなわけじゃない。
しかし、社会に出てはじめてした仕事が
週刊誌の取材というリアルな世界そのものを
ためつすがめつ裏から表から斜めから
つぶさに検証するような仕事だったわけじゃないですか。
その仕事の中で、次第にリアルな世界の面白さに
めざめていったんです。」
ここで、立花は、「リアルな世界」とは
取材で向き合った、いわゆる実社会のこと
だけでなく、
ヒトが作った「作りものの世界」以外の全てを
含むという。
大きく言うと、ひとつは自然世界。
もうひとつは、人間あるいは人間集団が
作り出してきた社会的存在物ののすべてた。
デカルトは「方法序説」で、人間の知識などと
いうものはすべてあやふやなもので、
絶対確実な知識は、「我思う故に我あり」の、
いわゆる純粋思惟の中にしかないとして、
そこからすべての哲学をはじめようとした。
そしてすべての知識を徹底的な懐疑の
精神のふるいにかけようとした。
それによって、疑いようがない
絶対確実な知識の断片に到達しようとした。
大きな幾何学の体型も、公理定理の積み上げによって
できている。
それと同じように絶対確実な知識の断片に到達したら
それを積み上げていくことで、
人間の知識世界全体を確実な知識の集合体に
再構築できると考えた。
近代科学はすべてこのような
デカルト的精神の上に建てられて今日に至っている。
これに対して、絶対確実な知識などいうものは
基本的に得られるものではない
と、敢然とデカルトに、異をとなえたものが、
18世紀のイタリアの思想家、ジャンバッテスタ・ヴィーコだ。
ヴィーコは「新しい学」を主張した。
日本ではあまり知られてない人なのだが、
哲学史においては、デカルトにたいする最も痛烈な
批判者として知られている。
ヴィーコにいわせれば、すべての学問は、それぞれ独特の
方法論を持ち、それぞれの方法論で、真理に接近していく。
しかしデカルトの方法論は幾何学の方法論でしかない。
それで接近できる真理は幾何学の真理でしかない。
それにだいたい、絶対確実な知識などというものは
基本的に得られるものではない。
真理はすべて蓋然性(確からしさ)をもってしか語りえない。
確実な知識などどいうものは、それを作ったものにしか
得られない。
従って、自然に関して絶対確実な知識を持ち得るのは
自然を作った神のみである。
それに対して人間が持ち得る絶対確実な知識は
人間が作ったものについてのみである。
具体的には、人間が作った社会とか、歴史、政治
道徳、倫理といった人文科学の範疇に入るものだけである。
こういって、この人間が作ったものについての学を
ヴィーコは「新しい学」と名付けたわけである。
立花のいう、「リアルな世界」とは、「神様が作った自然世界」
プラス、ヴィーコがいう「人間が作った、人間の認識にかなう
客観世界」のことである。
前者は自然科学の対象、後者は人文科学の対象で
あるとともに、ジャーナリズムが日常的に
報道の対象としている世界だ。
そして立花のいう「リアルでない世界」とは
そういう現実界(自然界プラス、人間社会内存在)を離れて
人間が頭の中でこしらえあげただけのマボロシのような
世界である。
極限世界を見る経験が積み重ねるにつれて
立花のなかで、自然と、フィクションと
ノンフィクションの世界の間の価値が逆転したという。
「その逆転がいつどこで起きたのか自分でもはっきりしない
のですが、かつては、将来いつかフィクションの傑作を
書いてやろうと思っていたのに、
あるときからそのようなことを夢想することが
全くなくなりました。
いまは、作り物の世界より、リアルな世界のほうが
何層倍も面白いと思っています。」