「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」木村政彦の再評価 | ぐーすけとりきのブログ

ぐーすけとりきのブログ

ブログの説明を入力します。

太田章(ロス五輪レスリング90キロ級銀メダル)が

こんなことを言った

「あと一年、たった一年長生きしていれば、木村さんは

 ヒーローになっていたと思いますよ。

 格闘技雑誌に特集が組まれただろうし、

 格闘技イベントのテレビ解説者として引っ張りだこだったでしょう」


木村の拓大の教え子たちもみんなこう言う

「もう少し長生きしていれば、

 木村先生は、いい思いをして

 死んでいけたと思うんですが…」


木村政彦の命日は1993年4月18日。

そのわずか7ヶ月後の11月12日

噛み付きと目潰し以外すべてを許された

画期的なノールール大会が、米国コロラド州

デンバーで開かれた。

第一回UFCである。


UFCとは、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップの略で

柔道やレスリングで許されている投げ技や寝技の他

ボクシングや空手で許されている打撃技も全て許された、

まさに究極の格闘技大会であった。


ボクサー、プロレスラー、空手家を次々と破って

このトーナメントを制したのは

グレイシー柔術というマイナー格闘技を身につけた

痩身のブラジル青年ホイス・グレイシーだった。

試合後、グレイシー一族は、マスコミに対してこう発言した。

「マサヒコ・キムラは我々にとって特別な存在です」


キムラって誰だ?


にほんのほとんどの格闘技マスコミは、

この時点でキムラという格闘家を知らなかった

なにしろ柔道界でもプロレス界でも、

その名は抹殺されていたのだから。


しかし日本に帰ってよく調べると、

かつて最強の柔道家と謳われていた

木村政彦のことだとわかった。

「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」

の木村政彦である。

そして、その木村が1951年ホイスの父

エリオ・グレイシーとブラジルのマラカナンスタジアムで

戦い、得意の腕絡みで圧勝していたことも。


「なんでもあり」の大会で、勝ちにいく発想が

いまの日本柔道界にない。

だから吉田秀彦は吉田道場を開くし

小川直也も小川道場を開く

帯をとるのは講道館の許可が要るように思えるのだが

これは間違いである。

だれでも昇段試験を受けさせて、帯を許すことが出来る。

だた講道館を破門させられるだけである。

石井慧も逆風のなか総合格闘技にチャレンジしている。

素直にすごいと思う。


そんな現在から60年まえにグレイシー一族に

勝った日本人がいたのだ

運命を感ぜざるをえない