う~ん、重いテーマである。
右から左に、サラッと流せる話ではない。
城山三郎の「落日燃ゆ」の主人公だが
陛下と広田との会見で
冬だったため、陛下は石油ストーブにやかんをかけて
応対をしておられた。
国家の元首でこれほどつつましい方は
居ないだろうと思い
この方のためにがんばろうという気になった
というフレーズを覚えている。
もともと広田は文官であり
戦争に直接介入してはいない
ただ大物の文官であり、三度首相を務めた近衛文麿が
服毒自殺をしたので
次は首相と三度の外相を務めた広田しかいなかった。
文官もバランス上必要だということで
繰上げされて、スケープゴートになったのである。
「広田さんは 何かの間違いです。きっとすぐ出られますよ」
と面会に来る人はみんな言っていたと言う。
佐藤賢了も事あるごとに広田に証言台に立って
無罪を主張するよう説得した。
しかし、広田は証言台に立たないという
「私は一切、自分で計らわずに来ました」
「首相になったのも、外相になったのも
むしろ自分は辞退したかったのですが
やむを得ずなったのです」
「その他のこともたいがいは自分から進んで
計らうことをせず、今日まで来ました。」
「この期におよんで今さら
自ら計らう気はありません」
東京裁判の法廷には、広田の次女と三女が必ず足を運んだ。
声が届くわけでもない。
ただ姿を見せ、視線を交わすだけ。
それだけで、親子の深い愛情が周囲にも伝わった。
法廷で唯一の和やかな光景だった。
静子夫人は一度面会に行った後、
こんな言葉をもらした。
「パパがいる時代に、日本がこのようなことに
なってしまって、このような戦争を
止めることが出来なかったのは恥ずかしいことです」
「パパを楽にしてあげる方法がひとつある…」
静子夫人は急に昔住んでいた家に
帰ると言い出し、一家はあわただしく引っ越す。
久しぶりの住み慣れた家で
食後の会話に、ふと乃木大将夫妻の殉死の話が出た
「やっぱりああいう時は、まず夫が自決し
次に妻が後を追うものでしょうね。
杉山元帥夫妻もそうでした。」
「まあ、私なら、自分が先に死ぬわ」
翌朝、静子夫人は寝室で死亡していた。
服毒自殺だった
遺書はなかった。
遺書などなくとも
気持ちは通じているという確信があったのだろう
しらせを聞いた広田も、
二度三度うなずくだけで、なにも話さなかった。
そして昭和23年12月23日
僧侶が線香を立て署名をした後
読経する。
板垣征四郎の音頭で
大きな、まるで割れるような声で一同は
「天皇陛下万歳」を三唱した。
それからブドウ酒を飲み
水を飲み交わして、しっかり握手した。
みな、にこにことあいさつをして、
感謝の言葉を残し、刑場に消えていった…