昨日までの記事で、

 

「どんな自分であっても感謝して受け入れて無敵になりましょう。

 

そしたら何者にでもなれるよん」と書きましたが、

 

なかなか感謝して受け入れることって難しいなと思う人もいるはずです。

 

▼今日も昨日の記事を先に読んでから進んでくださいね▼

 

で、そういう人って、

 

やっぱりどこかで“完璧な自分”みたいなものを求めてると思うんですよ。

 

完璧な自分を求めてる人が、

 

「何者にでもなれます」と書いてあるのを読んだら、

 

「何者かになりたい」という欲求がムクムクと湧いてくるんじゃないでしょうか。

 

ただ、「何者にでもなれます」というのは、

 

「何者にもならない(どんな自分にも変身可能な状態)」ことを指すんですね。

 

特定の何者かにならないということだから、

 

つまり、どんな自分であっても(受け入れて)楽しめる人のことなんですね。

 

そういう人こそ本当の意味での無敵じゃないですか。

 

で、そういうどんな自分でも楽しめる人は、

 

何に対しても楽しもうとするので、

 

どんどん体験主義になっていきます。

 

上手くいかないことでさえ面白がれるということです。

 

「なんだよー、全然上手くいかなかったなぁ。でも、途中まで楽しかったよね」といった感じで。

 

すると、上手くいかずに悔しがる自分、落ち込む自分、イラ立つ自分、

 

楽しむ自分、体験出来た喜びを感じる自分など全てを受け入れられます。

 

道中を楽しむことがメインの目的だからです。

 

「結果も求めるけど、そうならなくても楽しいからそれでいい」っていう発想になれるんです。

 

完璧な自分を求める人ほど結果にこだわるので、

 

どうしたって「何とかして結果を出さなくては!」という、

 

常にプレッシャーを感じた自分(自分でプレッシャーを与えている)になってしまいます。

 

完璧な自分を求める人からすれば、

 

「何者にもならない人」のことを「いい加減な人」と思うでしょう。

 

でも、本来はそれぐらいでちょうどいいんです。

 

もし、大ケガをしている人が目の前にいたとして、

 

「これはかなり出血してますね。

 

今から病院で手当てしても間に合わないですね。

 

多分、残りわずかの命だと思うので今のうちに言い残すことは?」

 

とか言うバカはいないと思うんですね。

 

仮にもう死ぬかもしれないという状況でも、

 

「大丈夫だ!すぐに助けてやるからな。もうすぐ救急車も来る!しっかりしろ!」

 

って言うじゃないですか。

 

これはある意味、いい加減なことを言ってるわけですよ。

 

誰がそこで「真面目に素直に嘘もつかないようにしなくちゃ!」と思うもんですか。

 

まあ、ちょっといい例じゃないでしょうけど、

 

人は皆、そういった状況の場合、「いい加減」になるじゃないですか。

 

要は、その場その場で適切なことを言える自分になるわけです。

 

完璧な自分を求める人でさえ、

 

そういった咄嗟の時…つまり、思考出来ない状況の時は何者にもなっていないし、

 

「何者かになりたい!」という欲求も消えているので、

 

その場その場で適切な自分(いい加減)でいられるわけです。

 

「いい加減」ってことは、ファジー(揺らぎがある・曖昧)ってことですから、

 

“その場その場で適応出来る自分である”とも言えます。

 

一貫して、「真面目で素直に優しく、いい人であるべし!」と固定化させると、

 

さっきのケガ人を目の前にした時にも、

 

一応その場では「大丈夫ですよ」と声を掛けるものの、

 

後で落ち着いて一人になった時に、

 

「あんな嘘をついちゃダメだったかな」とか、

 

「どう声を掛けてあげればよかったのだろう?」って悶々と悩み続けるわけです。

 

どうもこうもなくて、その場で思ったことを言えばおしまいなのですが、

 

完璧な自分を求める人ほどそれが許せないんですね。

 

完璧を求めているっていうことは、不完璧な自分という敵を内側に創ったからです。

 

不完璧な自分が内側にいて、

 

それを許せないから、相反する完璧な自分を求めてしまうわけですしね。

 

「許せない」っていうところがミソで、

 

本来、「不完璧な自分=いい加減」ってことでもあるんですよね(笑)。

 

許せさえしたら万事解決なので、そこに気付けたらいいかと思います。

 

ケガ人を目の前にするような思考出来ない状況の時は、

 

そもそも敵(不完璧を許せない自分)が内側にいないわけですから当然、無敵になります。

 

敵は自分の思考で創り上げているだけです。

 

自分の思考の中の不完璧な自分と戦っているわけですから、

 

そりゃ葛藤して苦しみます。

 

 

「いい加減な人」っていうのは、

 

あまり細かいこととか考えてないから「いい加減」って言われるわけです。

 

しかし、考えていない(思考していない)から、内側に敵を創ってもいないということです。

 

当然、敵がいない=無敵になっているということです。

 

完璧な自分を求める人ほど頭で計算しますね。

 

「結果を出さなくては!」と結果主義のために計算し尽くします。

 

思った通りに運びたいから思考フル回転です。

 

すると、どんどん自分の内側に敵を生産していきます。

 

不思議とどんどん完璧から遠ざかっていきます。

 

そのことに気付いたなら、「何者かになりたい」思いさえ手放して、

 

ちょっとぐらい「いい加減」に生きてみてください。

 

もっと分かりやすく言えば、

 

「今をどう楽しもうか?」ということにだけ思考を使ってくださいということです。

 

今日のこの瞬間、何をしたら楽しいかだけを考える。

 

「何をしたら楽しいかを考える」だけが重要であって、

 

「その考えたことが出来たかどうか」は大事ではありません。

 

今までは、

 

今日のこの瞬間でさえ、

 

「どうやったら上手く結果が出るかな?」と心ここに在らずだったはずです。

 

今の途中経過を楽しむことに重きを置いてみる。

 

上手く出来たかどうかじゃなくて、

 

チャレンジしたことに対して「これ楽しいよね」って意識を向ける。

 

そうやって結果主義ではない「いい加減」な人を目指すと良いですよ。

 

「いい加減な人」を目指してる時ほど、

 

実は「完璧な自分(=不完璧な自分を許す自分)」が既に内側にいるということだから。

 

昨日の記事の最後に書いた通りですね。

 

「なろう」とするのをやめた時に、

 

勝手に「なっちゃってる」んです。

 

なんてことはない。

 

完璧超人を目指すのをやめた時に、いい加減になり、

 

いい加減になっている時ほど、既に内側には完璧超人がいたということです。

 

おめでとうございます。

 

「完璧な自分」探しの旅は終わりです。

 

自分探しの旅の定番、インドに行かなくても済みました。

 

おめでとうございます。

 

 

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