心理カウンセラーの
「職業選択の自由~アハハン♪」
と言うと、歳がバレそうですが
人にはみんな「選択の自由」があります。
むかーし
社会科や公民の授業で習ったと
思うんですが
日本国民は「基本的人権」を有していて
その中に「自由権」ってのがあります。
誰からの制約も、強制もされず、
自由に物事を考え、
自由に行動できる権利のことです。
職業だけでなく
表現の自由とか
言論の自由とか
信教の自由よか
学問の自由とか
いいますよね。
じゃあこの「自由」が
無制限に自由だーー!
というとそんなことはなくて
「他人の権利を不当に侵害しない
限りにおいて保障されている」
つうことなんですね。
おおー、なんか難しくなってきた。
で、何が言いたかったかと言うと
「べきねば」や「いけない」を
自分の中に無意識にも持っていると
アナタには
「選択の自由」がないんだ、
「選択の自由」を自ら「放棄」してるんだー。
ってことを知っといて欲しいのです。
「(絶対に)キチンとすべき」
と思っていると
「キチンとしない」
という選択の自由が得られない。
今日は疲れたから、
ま、キチンと掃除しなくてもいっかー
家事しなくてもいっかー
って思いたいのに、
「キチンとすべき」
に縛られて、罪悪感感じたり
自分をダメと責めたりする。
日本国からは「権利」を
もらっているのに
本当は自由なはずなのに
勝手に自分で罪を背負って
自分を罰してしまう。
その上、
「キチンとすべき」
と思っていると
キチンとしていない人を見ると
イライラしてきて
「アンタもキチンとしなさい」
と相手の「自由」を侵害する
ようになる。
アナタの自由は
「他人の権利を不当に侵害しない
限りにおいて保障されている」
のに、自分で自由を放棄して
他人の自由を侵害するという、、
なんて迷惑な人、になってしまう。
でね、
「自由と責任」
ってセットって
これもよく聴くと思うのです。
「自由がある分、
自由に行動しただけの責任(結果やリスク)を
自分が引き受ける必要がある」
ってことね。
じゃあ今
「べきねば」で自分の「自由」を
放棄している人は
なんの「責任」から逃れてるんだろう
って考えることもできる。
実はこれは
その人の
「人生の責任」を放棄している
ってことなのです。
「べきねば」に従うことで
つまり
「自由」を放棄することで
自由に行動しないかわりに
人生の責任(結果やリスク)を
引き受けなくて済む。
「べきねば」に従っていれば
「安全」だ、って思っていることなのです。
「べきねば」に逃げ込んでいる
と言ってもいい。
「べきねば」を守らないと「危険」だ!
と思っているってことなんだよね。
じゃあなぜ「危険」かと言えば
これは結局いつも伝えている
「過去の環境」で身につけたもの。
危険やショックな出来事から
身を守るために作ったのが
「べきねば」や「いけない」なのです。
そしてその根幹にあるのはほぼ
「人から嫌われる恐れ」
です。
だから手放しづらいのよね。
でもさ、「べきねば」に縛られて
自由を失って
他人にイライラして他人の自由を侵害してるって
まったく「安全」じゃないでしょ?
だからそれカンチガイなのです。
「べきねば」を掲げている人は
実はその裏に危険への「恐れ」があります。
手放すには「恐れ」を伴いますが
それ自体が「過去の妄想」で「カンチガイ」です。
だから
「べきねば」「いけない」は
「ああ自分をまもってきてくれたんだな」
ともう手放していきましょう。
キチンとしてもいい
キチンとしなくてもいい。
アナタには「選択の自由と責任」があります。
さあ、基本的人権を取り戻しましょう(^ω^)
おおー、カンタンに書こうと
思ったのに結局なんか難しくなってしまた。
でも書いたのでそのまま送る~。
ボク、公民の授業好きだったのよね(笑
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