あなたのココロにコトバを添える。
心理カウンセラーでライターの
かとちゃんです。
今日のはメンドクサイので
読まなくてもいいっす。
「好きなことして
嫌なことやめていく」
これが心理スピ系の原則。
自分でも実践してきた中で、
確かにそうだろうとは思いつつも
“好き”とか“嫌い”という
【感情】だけを信じて生きてくには
ボクという人間は臆病すぎる。
そしてまた
それを盲信できない性格。
まあそこが良いのだが。
「感情に流される」
「感情に振り回される」
「感情的になる」
というコトバにもあるように
【感情】がイマイチ信頼感に欠ける
というのは、
それはそれで間違ってはいまい。
でも
【感情】を信じて生きていきたいが
【感情】を信じきれない自分が
その扱い方を知るために
自身で納得できるように
このリトリート中考えてきたことを
自分用に雑多メモとして列挙。
とりあえず、
スピ的な部分をのぞく
一般的に受け入れられるであろう
部分のみを記述。
なお
あえて「感情」と「情動」は未整理。
・「感情」とは
思っている以上に信頼できるものっぽい。
・ただし全く信頼できない時があるのも確か。
・感情から信頼できる情報を得るには
感情自体を研ぎ澄ましていく必要がある。
・感情が鈍っている人がそれを磨くためには
小さなことから感情に従って動いてみて、
その結果を立証していく必要がある。
・感情というものが信頼に足るという
証拠を拾い集めるということ。
・そのためには
「嫌なこと」を避けていくよりかは
「好きなこと」をやってみる方が
結果は出やすい。つまり<ワクワク>に従う。
・「好きなこと」はやってみれば楽しいので
自己肯定しやすい。
・また「好きなこと」は
今まで「理性」というコトバで「感情」を
押さえこんで偽ってきた心のブロックを外しやすい。
・「嫌なこと」を続けても「嫌」であることが多い。
同時に「嫌なこと」を辞めてみたことで
それがうまくいったのかどうかは検証しにくい。
・【感情】を肯定的にとらえるには
小さなことから「好きなこと」をしていくのが有効。
・長所進展を目指し、短所是正をやめていくも
ほぼ似たようなこと、かと。
・「感情」とはなんとなく出てくるものと
思われがちであるが、そうではない。
・その感情の“湧き上がる”
元、ベースとなるものは何か?
・「思考」で考える。は基本アタマ。
「感情」で考える。はカラダ、ハラ、etc総動員
・「思考」と「感情」には明確な区切りはない。
・これは5%の顕在意識と95%の潜在意識に同じ、
と言い換えてもいいのか、な?ちょっと違うか。
顕在意識にとって「思考」はその入口であり出口。
潜在意識にとって「感情」はその入口であり出口。
であってる?
・「感情」とは
すべての自身の取り入れてきた情報(経験、記憶、知識、五感)
(+ 第六感、超意識、アカシックレコード?)
へ総合的にアクセスした結果出てきた結果。
そのデータを要約しまくったものが「感情」と
考えられる。
・「感情」を喚起するのは、外部からの刺激。
その刺激は、今でも、ずっと過去でもよい。
ココロはその刺激に対して、答え(「感情」)を出す。
出さずにおいた「感情」は、ほとんどがココロに残り
さらなる感情の生成のための情報となる。
・「思考」も「感情」を喚起するものになりうる。
・「思考」とは
そのすべての情報の中で、知識と経験に
重点を置きアクセスした結果出てくるもの。
・「感情」の方がアクセスする情報量が圧倒的に多い。
また一瞬で結果が戻ってくる。
・人は生きていく上で、
なんでも「思考」で考えていては
決定までに時間がかかる。
そのために「感情」という高速自動判断機構がある。
・「これは好きか、嫌か」「安全か危険か」
などと考えていては、生きていけないということ。
・というように「人」という生き物の生存機構だと
「感情」を捉えれば、「感情」は信頼たるものと思える。
・前述のように「感情」には
経験、知識もベースとなるため
この経験、知識が間違っている、偏りがある場合
および、その経験から作られた自動反応により
間違った結果を引き出す可能性がある。
・ただし経験、知識は「思考」側に重点があるので
「思考」をできうる限りはずした場合の「感情」
は信頼に値する、可能性は高い。
・同時に、経験、知識が多くなればなるほど
それらに一瞬でアクセスし、正しい判断を
下してくる可能性も高い。
これは「思考」においても同じ。
・ただし「思考」は知識を入れすぎることで混乱する。
・正しい「知識」とは、ひとりでなく、多くの人の
経験から生み出されたものでもあるため、
その知識からの「思考」が「感情」の判断を凌駕する
可能性も高い。
・その逆、ひとりで蓄えた「知識」は、
その人の”ココロの前提”により選別されるため
偏りが出る。
・知識の量が「感情」に影響するのであれば
経験の少ない分野での「感情」は信頼度が落ちる。
実際、ビジネスにおいて経験値の高い人と低い人が下す
「なんとなくこっちのがいい、好き」という判断は大きく
信頼度が変わってくるだろう。
・だだし経験値がない分野だからこそ、「感情」を大事に
したい。そこはその分野意外で得た情報を総動員できる
「感情」だからこそ信頼できる。「思考」では危ない。
ここらへんは、スピの力も借りたい。
・まちがった「感情」(たとえば「嫌」と感じる
必要のないものを「嫌」と思う)
「感情」だからしかたがないと思っているうちは
解決されないが、「思考」で認識した場合
つまり「ああ、この感情はいらないのだ」と
気がついた場合は、はずすことができる。
・「思考」は答えのあるものには有効だが、
答えのないものには、最終的には「感情」で
選ばざるをえない。でないと「思考」は行き過ぎる。
・ただし答えのないものに対して
「思考で遊ぶ」という高尚なことが人はできる。
その際、その裏には「感情(好き嫌い)」がある。
「感情」を他者(自分を含む)と交流させるために
「思考」が有効ということ。
・というように「思考」と「感情」は
補完関係にある。どっちかだけで良いものではない。
・「感情」はその人の経験・体験などによって形成
されたオンリーワンのもの。
・「感情」を磨いていく、豊かにしていくとは
「自分の純度を上げていくこと」
・自分の「感情」を肯定できたとき
「感情」に従っていいんだと思えるときに
自分を信頼できる。
・「感情」に従うとは「素直になる」こと。
・「感情」を否定するのは、自分を否定するに等しい。
・「感情」はまず全肯定し、
なぜその感情を感じたのか、感情からの行動を
建設的に選ぶのが「思考」
・ただし、その「感情」と思っているものは
「過去作られた間違った自動反応」や
「思考重視」ではないですか? 本物ですか?
という「思考」を補佐に「感情」を使いたい。
あと、「感情」を構成する情報の中に
宇宙意志とか、超意識とか、虫の知らせとか、アカシック・レコードとか
ユング的な集合的無意識とか、肯定的なスピを入れ込んで楽しんでみれば
生きていくに十分な「自分への信頼」を得られるでせう。
一年後、いや半年後に、
「バッカでー、何むつかしく考えてんのやらヾ(´∀`)」
と完璧に言い切れる
ワクワク感情重視で生きているであろう自分に向けて。(^ω^)

安曇野の山奥で
クマに会ってみたいという((o(´∀`)o))「感情」と
クマに会ったらヤバいやろ((((;゚Д゚))))という「思考」
とともに、書き記す(* ̄(エ) ̄*)
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