『感動するということ』 | 【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

うつや病気で休職3回を経験。今は心理カウンセラーとして優雅に生きるかとちゃんが、「自己肯定感の育てかた」をお伝えしています。

「感動のない子だね、この子は。」

いつしか母親にこんな事を言われる子供になっていた。


幼少の頃、激しい承認欲求を持つ
「認めてちゃん」だったボクは

周囲の大人や先生の愛のムチに従い
徐々に自分の感情を抑圧する“よい子”になっていった。

さらに感情を露わにすると、アトピーが悪化するので
もっともっと抑える方法をカラダが覚えていった。

そのうち高校生になり、
周囲と馴染めなかったことなどもあり


人の言動などが、
その感情の抑圧を邪魔するので


外部からの刺激に一喜一憂するのをやめ
自らそれらへの反応を鈍らせるという行動に出た。


なんだかわからない?


できるだけ他人からインプットしないことで
自分からアウトプットもしないように
身体が変わってしまったんです。


実際のところ、インプットは

 ・人の声が“ただの音”に聞こえたり
 ・人の顔の判別できないようになったり
 ・景色や風景が"ただの色”に見えていたり

という状態にさえなり

アウトプットでは

 ・特定の友達の前以外では声が出ない

という状態になりました。


外部刺激への反応力が消えていくと
ついには立派な 「無感動な子」 が出来上がりました。

 ・何を見ても感動しない
 ・何を見てもトキメかない
 ・何を見ても泣かない
 ・何も感想がない


その頃、ボクは映画が趣味だったのだけど、
その状態になって何を観てたかというと

 ・人には言えないようなすっごいホラー映画
 ・人には教えられないようなすっごいバイオレンス映画
 ・人には見せられないようなすっごいエロ映画

ばかりを見るようになっていました。
ホラー、エロ、グロ、ナンセンス。
今の映像技術からすれば、チャッチイもんだったと思います。
でも当時は(今も?)そんなもの見てる人はかなりヤバイ人。


ちょうどかの有名な連続少女誘拐殺人事件が
世間を騒がせていたので
母親がすごーく心配していたのを覚えている。
だって居間のテレビで見ていたから。


そんなものを親の前で見ていることすら
自分でヤバイと感じなくもなっていた。


つまりは刺激に鈍感になりすぎて
自分の中のセンサーが壊れちゃっていたのです。
しかもそんな映画でさえ淡々と眺めている自分がいました。


幸いその後、大学で良き仲間たちと出合うことで
症状は改善されていきました。

しかしまた社会人になり壊れていくのですが…。
まあそれはまた追々。

今は、心理と友に助けられマトモになってます。
(と、思う。)







で、今日なんでこんなこと書いたかというと、


最近涙もろいんです。
それがとっても嬉しくて。


今日はこの映画を見て超絶泣きました。

■『チョコレートドーナツ』



ハッピーエンドではない哀しい物語ですが
感動する、泣けるってスバラシイことだよーって

あの頃のボクに伝えたい。



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