『好きなこと 嫌いなこと』 | 【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

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うつや病気で休職3回を経験。今は心理カウンセラーとして優雅に生きるかとちゃんが、「自己肯定感の育てかた」をお伝えしています。

よく自己啓発系やスピ系の本を読むと

「好きなことをしなさい」
「ワクワクすることをしなさい」

と書いてある。
それが人生の羅針盤、それが幸せのセンサーだ、と。


ボクは本気で人生を変えたいと思った時、
一番困ったのはココだった。


ボクのように他人軸で生きてきた人はその

 「好きなこと」
 「ワクワクすること」

が分からない。


たぶん既に幸せに生きている人からすれば、
それは呼吸でもするかのように容易に分かることだろう。


でも今の幸せに疑問がある人は、
その「好きなこと」をちょっと疑ってみる必要があるかも。


ボクが自分の「好きなこと」を疑ってみたときに

 「損得」
 「正しいか間違っているか」
 「親の目、上司の目、世間の目」
 「見栄」
 「本当に好きなものから目をそらすためのカモフラージュ」
 「男だから」
 「お金」
 「劣等感の補填」
  ...

こんなものがいっぱい出てきた。


「好き」と思う感情の裏に、
それはもう複雑に絡み合い、
ビッシリと貼りついていた。


最初はそれを剥がす努力をした。
いくらかは剥がれて正体を表した。

でもかなりのものが 「疑惑の好き」 のままだった。
これは時間がかかると思った。


しかし、その過程で気づいたこともある。
「嫌いなもの」「ニガテなもの」「好きでもないもの」が
逆にそうでもなかったこと。


「好き」 と向き合うと 「嫌い」 も意識せざるを得なくなる。


そして実はそれらは
「嫌い」だったのではなく
「恐い」だったりする。


「嫌い」と「恐い」がゴッチャになっていた。


ボクは街の雑踏も含め人の集まりが嫌いだった。
そういう場に行くと、
本当に気分が悪くなる時がある。


小学校の運動会と同じ。

身体を守るための防御反応。


自分が人に会って恥ずかしい目に合わないために

身体が自然と指示を出してくれている。


でもそれは「嫌い」じゃなく「恐い」っぽかった。


「恐い」だけで、「嫌い」ではないかもしれない。
恐れているだけで、踏み込みたい世界かもしれない。


そして自分の 「疑惑の好き」 を分析するより

「嫌い」の感情のが明確で分かりやすい。


だから「嫌いなこと」と思ってやらなかったこと避けてきたことを
少しずつ試してみることにした。


 ・人の集まりに出る。
 ・興味のないスポーツの話をしてみる。
 ・人を褒めまくってみる。お世辞を言ってみる。
 ・ニガテな人にあえて会いに行ってみる。
 ・人の悪口を言ってみる。
 ・時間守らない。ドタキャンしてみる。
 ・女子ばかりの環境に身を置いてみる。
 ・文章を書いてみる。


するとやっぱりそうでもない。
どころか好きだったりする。


しかも自分ルール外のことばかりなので、
世界がグーンと広がった。


すると部屋の隅でひとりでDVDばかり見ていたボクは


 ・人の集まりによく顔を出し
 ・スポーツの話をして笑い
 ・人をよく褒め、自分も褒め
 ・最初ニガテと思う人が、
  「いい人、好き!」にひっくり返る瞬間を楽しめるようになり
 ・悪口を極端に恐れることがなくなり
 ・時間に遅れてもそれほど気にしなくなり
 ・友達に女子が多く
 ・文章でお金を貰えるようになり
 ・人と話すことが仕事の心理カウンセラーになりたい


という人になった。


まだ、初歩の初歩だけどね。
もちろんひとりでDVD見るのも大好きなのだけど。


だから「好きなこと探し」が難しいと思ったら
ちょっと脇に置いて
「嫌いなこと」をやってみるといい。


そのほうが世界はひっくり返りやすい。







それが心屋仁之助さんの言う、

「バンジー」や
「パターン崩し」や
「それは、ないわ」

だったりするのだなぁ、と改めて思う今日なのでした。


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