妄想小話108【きっかけの品川】 | ポットの気まぐれ太陽

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妄想小話108【きっかけの品川】

 

 高校生の時のクラスメイトに、いつも歌手の物真似ばかりしている男子がいた。

彼の周りには休み時間になるとたくさんの生徒が集まって、

中には歌手の身振りを真似する者や、バックダンサー役をやろうとする者もいた。

 

 当の品川 正は、次々と色んな歌手の真似に挑戦して行く。

最初は皆で「全く似てないじゃないか」「誰だよそれ」と揶揄うのだが、

品川 正が異常にしつこく、結果が出るまで繰り返すので、

結局だんだんとレパートリーは増えて行った。

 

 別のクラスから見物人が来たり、教師までが授業中にリクエストしたりした。

私は、彼らに加わりはしなかったが、遠くから見て楽しんでいた。

 

 品川 正たちは文化祭になるとさらに盛り上がって、

体育館で数曲のメドレーを披露した。

上級生にも好評で品川 正は学校あげての人気者だった。

 

 2年生に上がる時に、進路別クラス替えがあった。

私は将来なりたい職業もなかったが、4年制大学に進学したいとは思っていた。

 

 品川 正は、就職クラス希望だった。

 

 クラスが進路別に分かれると、授業内容も違って来るし、

それぞれの教室によって雰囲気が違って行く。

 

 2年生の秋になると、早々と進学クラスの男子の数人がピリピリし出した。

 

 一方、品川 正たちのクラスは2回目の文化祭に向けて、

華やかさを増していた。

 

 私の方は、月1の学力テストの結果が思うようにならず、

母の職場近くの塾へ仕方なしに通い出した。

 

 その塾へのの憂鬱な行き帰り、何度か品川 正を見かけた。

品川 正の家が近くだったらしい。

商店街の人ごみの中、いつも品川 正の腕にぶら下がったり、

足に絡み付いている小さな女の子がいた。

幼稚園生ぐらいだろうか。

あんな小さな妹がいたんだな、と微笑ましく思った。

 

 私の進路については、なりたい仕事のイメージは沸かなかったが、

とりあえず学部としては、教育、社会、人間科学、心理、

そのあたりかな?とは思っていた。

そんな漠然とした感じだったので、偏差値は伸びなかった。

だから、私は気分的にウツウツと過ごしていて、

文化祭前の華やかな雰囲気の品川 正たちとは別世界に暮らしていた。

 

品川 正たちのクラスが随分と楽しそうにはしゃいで、文化祭は終わった。

 

 

 それから数日後の事だった。

品川 正が傷害事件を起こして保護された。

世間にも地域にも校内にも色んな噂が飛び交っているようだったが、

私はそれには耳を貸さなかった。

私が信じたのは母からの話だ。

 

 品川 正のお母さんは、

母が看護師として勤める診療所の患者さんだったのだそうだ。

おばさんは、婦人科系の大病後、完治までの道のりが険しくて不調が続き、

まともに働けていなかったらしい。

 

 品川 正の家は、おばさんが離婚してて、

お爺さんと妹さんとの3人暮らし。

お爺さんには認知症があり、

それがおばさんの負担となっているようだったので、

私の母が「包括センターに相談したら?」とアドバイスすると、

「父の年金がないとやっていけないから」

とおばさんが笑ったと言う。

夜中のお爺さんのトイレの介助とか、小さな子の世話も、

息子が手伝ってくれるから、なんとかなっていると言っていたそうだ。

 

 その時にはすでに母にはお爺さんの認知症が、

暴力的な方向に進行しているように思われたらしい。

 

 事件が起きた数日前、おばさんが通りをフラフラな状態で歩いているのを見た母が、

声をかけると、「大丈夫」と言う割りに、おばさんの服もボロボロで、

品川 正の家が大変な事になっていると感じたそうだ。

 

 ここから先は母が診療所に来る年寄りたちに聞いた話。

あの日、認知症が進んで訳も分からず暴れ出したお爺さん。

品川 正はおばさんと妹さんを守ろうとして、

お爺さんに怪我をさせてしまったらしい。

結局、お爺さんは老人施設へ、おばさんは病院へ、

品川 正と妹さんは一時的に児童施設に入所したらしい。

 

 学校では、「品川 正は服から貧乏臭い臭いがしていた」とか、

「弁当はいつも具なしのおにぎりだった」とか、

品川 正をチヤホヤしていた仲間たちまでが言い出した。

 

 私が「やめなよ!」と叫ぶと、皆が黙ってうつむいた。

 

 品川 正はウチの高校には戻って来なかった。

 

 私はとても悔しかった。

 

 品川 正は自分の家が貧しかったのを、

本当は気にしていたのだろうと思った。

だから品川 正は物真似ばっかやってたんだなと。

 

 そんな事ばかり考えていたせいで、私は大学は福祉系に進んだ。

 

 大して頭もよくなかったので、

社会福祉士になるのには必死に勉強する必要があった。

それでも私が頑張れたのは、品川 正がお爺さんのトイレ介助をしたり、

妹さんにご飯を作ってやっている姿が想像されて、

それがいつも頭から離れなくて、切なくてたまらなかったからだ。

 

資格を取って3年後、

児相で子供たちから事情を聞き取る仕事をするようになった頃、

あれから品川 正は他校に編入出来て卒業もし、

今は老人施設のスタッフとして働いていると知った。

 

 それを聞いた私は、 きっと品川 正は今も、

物真似をやって年寄りやスタッフを笑わせているのだろうと思った。

 

私はやっとホッとした。