初めて娘の病状説明を聞いた時。 | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

娘が京都大学附属病院に入院してから

初日に「生検

(疑わしい病変の一部を切り取って、菌や腫瘍の存在を詳しく調べて病気の診断を行うものです。 例えば胃カメラを飲んで潰瘍が見つかったら、がんかどうか確認するため組織の一部を採取して検査します。)

 

をしてもらってから次の日に先生から呼び出されての病状と今後の治療方針の説明をしてもらいました。

 

この時は、整形外科の岡本医師と小児科の梅田医師が来てくださいました。

簡単な治療説明では、まずは骨盤にある腫瘍を化学療法によって出来る限り小さくしてから外科手術によって腫瘍を取り除く。という説明でした。ただ・・問題なのは肺に転移している癌細胞が問題になるとのことでした。腫瘍自体は取り除くのは、いつでも出来るそうです。

ただ、肺の細胞については手術がしにくく生命に直接関わってくる臓器だけに化学療法で効果が出ることを信じたい。そして約半年は数種類の抗がん剤を使って腫瘍と肺の様子をみて、良いタイミングで骨盤の腫瘍をとる手術をしてからリハビリをしつつも抗がん剤を続けて完治を目指します。との事。

 

この文章も今となっては、ある程度は理解して書いていますが、実際にこの時の精神状態では多分、半分以上は理解できてませんでした。勿論、それは奥様も同じだったでしょう。ただただ治してあげてください。としか言えませんでした。

 

そして癌と聞けば必ずといって良いほど聞く言葉として「ステージ」があると思います。当然自分も娘の現状を知るために先生に聞きました。「今の娘のステージは?3ですか?」「娘の寿命は?あとどれ位ですか?」と。

 

すると先生は「患者さん一人一人症状や体力性別年齢が違います。なので一概にステージでは括る事はできないのです。なのでそれは気にする事なくこれからの治療に向かっていきましょう。ただ、どうしても聞きたいのであれば医師として答えますが意味がないと思います。」との事でした。

 

その時の私は納得する事は出来ませんでしたが先生の言う事だから全て任せようと何も言わず説明が終わりました。

私からしたら「逃げたな・・・」と思っていました。明確な回答になってなかったからです。でも実際は違ったんですよ。

 

今から思えば、この時点でステージ4だったんですね。ただ私達の希望を失わせないように、こういった言い方をしてくれたのでしょう。もしもこの時に「ステージ4で1年持たないかも・・・」と言われていたら奥様を含めてどうなっていたのでしょうか?そういった事も含めて大病院で数々の経験をされてきた医師の素晴らしい対応だったんだと思わざる得ませんね。心ある医師達を長い付き合いの中で私達は我を見失い医師達に当たった時もありました。嫌味を言った事もありました。それでも変わらず治療を続けてくれた皆さんに感謝しないといけません。

 

こんな事があっては駄目なんですが、もしも、もしも、こういう場面に遭遇してしまうのならば私としてはレコーダーを用意される事をお勧めします。今ならばスマホにそういうアプリがあるので会話を記録しておくのは大事だと思います。のちに冷静になって聞き直す事で、また違った解釈もできるかもしれませんから。

 

なんにしても地獄の時間である事は間違いありませんね。

 

もしもこの時に私にもっと知識があって色々な治療法なども知っていたら、また違った話ができたのかも知れませんね。ゲルソン療法などの抗がん剤を使わない民間治療もある一定の効果もあるみたいですが本当にその治療が良いのかどうかも医師に面と向かって話すべきなのですから。それが心ある医師達の仕事だと思います。

 

そして後に出会う「心無い医師」の事もまた機会があれば話をしたいと思います。

 

ただ、こんな話はいくら優しく頼りある先生に説明されたとしても、やっぱり悲しみは変わる事なくつらい時間ではありました。

この日の帰り道では車の中で走り出す事もできず号泣し続けました。